光の手
相手を自分のことのように、想う。
健康のことや心のことはもとより、今の現状すべてを。
苦しみや悲しみ、喜びも、すべてを受け入れ、流していく。
やがて、心の内側が、ほのかに光ってきて、
身体の内側から、光がもれてくる。
輝いた手のひらから出た癒しの光が、
相手を包み込む。
全体が、輝き始め、
心地よい波が、漂っている。
« 2007年09月 | メイン | 2007年11月 »
相手を自分のことのように、想う。
健康のことや心のことはもとより、今の現状すべてを。
苦しみや悲しみ、喜びも、すべてを受け入れ、流していく。
やがて、心の内側が、ほのかに光ってきて、
身体の内側から、光がもれてくる。
輝いた手のひらから出た癒しの光が、
相手を包み込む。
全体が、輝き始め、
心地よい波が、漂っている。
力は使いようである。
抑圧した力は、拒否され、
弱々しい力は、頼りない。
ちょうど良い力の使い方とは、
力まず、等身大の自分でいること。
知らず知らずのうちに、
それ相当の力が出せるようになってくるだろう。
見栄を張って、自分を大きく見せなくてもいい。
自分の存在や力量を認めて欲しいと訴えなくても、
周りは、見てくれている。
力は、人に見せ付けなくてもいい。
言葉や態度で表さなくても、自然と伝わっていくもの。
頑張りすぎず、怠けすぎず、
ちょうど良い自分でいることが大切である。
いつくしみ愛すること
か弱そうな人や、幼い子供たちには、
何の疑問も抱かず、
慈愛の心を持って接することができるだろう。
対立する人や、苦手な人にも、
その心を持って接することができれば、
どんなに自分の周りが変わっていくことだろう。
誰かが、その心を発信する。
その波が、周りにも浸透していく。
会社の中で、
家族の中で、
まず自分からその心を発信していこう。
苦手な人だから、と、言い訳をしないで。
言葉に出さなくても、心で思えばいい。
「慈愛の心」という言葉を。
誰かが、してくれるだろうと、
他力本願にならず、
まずは、自分から発信していこう。
先に発信したからと言って、
勝ち負けには、ならない。
自分が気持ちよく生きていくために。
誰のためでもなく、
自分のために、発信していこう。
昔は当たり前のような習慣だが、
最近は自分と他人の距離感をうまくつかめない人が多く、
驚くようなことに出くわすことがある。
How to本やマニュアル本など、
やり方は本やインターネットで調べれば、何となくこなせるだろう。
だけど、
内面の気配りや気遣いの仕方は、
本やインターネットで学ぶのではなく、
普段の日常生活の中で、学んでいくもの。
たとえ、マナー教室に通って、完璧であっても、
それは技を学んだのであって、
心を学んだうちには、入らない。
その技を日常生活に活かしていくうちに、
心も伴ってきて、本物のマナーになっていく。
親しき仲にも礼儀あり
されど、心が伴わない形だけの礼儀であれば、
相手の心にととかず、感動も長続きしないだろう。
何の変哲のない土から、形が生まれる。
どんなに形が悪くても、
どんなに使いづらそうでも、
世の中でたった1つの器や皿たち。
この手から生み出された器を眺めるたび、
とても誇らしげで、嬉しさが込みあがる。
火の洗礼を受けた器は、
静かに扉が開かれるのを待っていた。
釉薬のお化粧をほどこされ、
第二の火の洗礼を受けるため、
また静かに、その時を待っている。
我が家に、この器たちが、
訪れてくれる日が、待ち遠しい。
人とのコミュニケーションは、心がけ1つで、よりスムーズになる。
言葉を交わすにしろ、
目を合わせるか、下を向いたままかによって、
受ける印象がまったく変わってくる。
挨拶も、無表情より、笑顔で。
悪いなと思ったら、早めに声を掛ける。
家族内でも、
ご近所つきあいでも、
会社でも、
どこでも、平等に気を配る。
当たり前のことが、
最近、当たり前でなくなってきている。
住みにくい生活になってきているのは、
自分の態度が原因になっているのかも。
相手に問う前に、
自分の生活態度を見直してみよう。
昔から伝えられている魂を響かせる音、真言(マントラともいう)。
日本語に訳すとあまり有り難がたく思われないようなものもあるが、
音として響いてくる真言に、魂は揺さぶられる。
もちろん、身体の6割以上が水分と言われている私たち、水の振動もある。
真言の音を聞くと、
訳が分からず、涙が出たり、
心がポッと温かくなったりする。
また、なぜだか妙に気になるものや、
懐かしいと感じるものがあれば、側に置いておけばいい。
そのとき、理由は分からなくても、
後々、理由は分かってくるだろう。
真言といっても、仏教用語ではなく、
好きな音や言葉として、とらえていけば、
普段使っている言葉の中でも、
その人にとっては、真言になっていく。
私は昨日、治療家の師より、真言を賜わった。
難しい言葉ではないが、
この真言を心でそっととなえると、心が落ち着く。
これは、師の心の奥底より沸き起こった
「人を癒したい」という願いに感じた意識体よりのプレゼント
それを縁として、
師より私、
私よりこのブログをご覧になっている方にも、お伝えしたい。
どうか
あなたが心から大切にしている家族や友人の中に、
病で苦しんでいる人がいるのであれば、
この真言を心の中でとなえ、そっとその患部に手を当ててほしい。
奇跡は起こらなくても、
あなたのその手の温もりは、
相手の中心に届けられるはず。
真言は、魂を揺さぶる律動
今も昔も変わらない。
師よりの賜わりし真言に感謝をし、
そして、この賜わり物を、皆さんに届けられることを喜びとする。
魂の律たる響きは、真言となり、広く深く世の中に染み渡っていく。
「信頼なる天地のエネルギー
天地融合のエネルギーを
私の体を通して、あなた様にお与えください
感謝します
感謝します
感謝します」
人生の中で、色んな出来事があっただろう。
種を蒔いても、芽が出るタイミングがそれぞれあるように、
育つタイミング、
実になるタイミングも、それぞれ違う。
他人と比べることなく、今を生きる。
今、自分はどの時点にいるのかを理解できれば、
目の前に起こっている出来事にも、
納得することができるだろう。
人生に無駄な出来事はない。
自分の内側から沸き起こる感情、
身体に起こっている現象、
出会った人たちでさえも、
すべて自分にとって、必要な出来事。
人生の中で、
人はやがて、豊穣のときを迎える。
期待していたほどの実りが得られるかどうかは、
今の人生の生き方に、比例していく。
1つひとつ、目の前の出来事を真摯に受け、
対処していく姿勢が、求められている。
人は、それぞれにこだわりがあり、
他人が「なぜ、そこまでこだわるのか?」と
首を傾げてしまうこともある。
このこだわりは、プラスにもマイナスにも働く。
周りとの調和を前提にしていくことで、
このこだわりは、活かされていく。
調和しないで、独りでこだわってばかりいると、
頑固者とレッテルを貼られてしまうかも。
自分らしさをうまく表現し、
周りとの調和も重んじながら過ごしていくと、
その人らしい生き方や服装など、
すんなり受け入れられるだろう。
自分の意見を持って、
こだわって生きている人は、とてもいい。
だが、周りと調和しないで、生きてしまうと、
とても損な生き方になってしまう。
せっかくの自分らしさを、うまく表現して生きてみよう。
弓の弦をきつく張りすぎると、切れる。
ゆるく張ると、矢は飛ばない。
ちょうどよいというバランスを保つことが、大切である。
人生も同じ。
色んな経験を積んで、自分にとって、ちょうど良いと思われる道を進む。
その道は、
人によってさまざまであり、
正しいか間違っているかは、一言では言えない。
但し、その物事をストイックに取り組んで、
「これが正しい道」と周りにも強要し始めたときは、
一歩立ち止まって、自分を見つめ直してみよう。
自分にとって1番良くても、
他人にとっては、そうじゃないときもある。
また、体調やタイミングによって、違うときもある。
自分の中道がわかるためには、
道に例えてみると、左右の両端を経験したとき。
自分や周りの人の中で、
両極端なことをやっている人を見つけたら、
今、中道を探している最中だと思えばいい。
良い・悪いでなく、模索しているだけ。
但しくどいようだが、一番右や左がわからなければ、真ん中はわからない。
だいたいの感覚で、モノを言っても、言葉に深みがないのは、
本当の右や左を経験していないからである。
また、道の真ん中は、曲がりくねり方で、変わることもある。
中道を1つに決め付けないで。
時の流れによって、変化していくこともある。
柔軟な心が、必要とされている。
人は、欲望によって生きている。
人間の三大欲望である、食欲、性欲、睡眠欲
人間は理性があるので、ある程度、抑制することはできるが、
「○○しては、いけない」と禁止されればされるほど、
やってみたくなるのが、人間の心理。
この3つのどれかを抑圧すると、
その欲だけが、ずば抜けて大きくなり、
頭の中は、そればかりになってしまう。
例えば、食欲。
朝食を抜くと、やや食欲が強くなる。
昼食を抜くと、もっと食欲が強くなり、ストレスが溜まる。
夕食を抜くと、頭の中は、食べ物のことしか考えられなくなり、眠ることもできない。
性欲も、子孫の繁栄を考えると、必要な欲であるが、
相手の気持ちあってのこと。
相手に受け入れられないと、そのことばかりが頭をよぎり、無謀な行動に出てしまうだろう。
また、睡眠欲は、
脳の膨大な情報量を整理し、
体の免疫力を高めるために必要なこと。
眠ることができないと、頭の働きがストップして、何もできなくなるだろう。
どれも必要な欲ではあるが、
抑圧も解放も極端に傾けば、執着が大きくなり、
自分も他人をも、傷つけることになりかねない。
偏ることなく、自分である程度やってみて、
満足したら、その物事にも執着しなくなるが、
人によって、執着がなくなる時間や量など、それぞれであり、
他人が決めることはできない。
人は理性があって、欲望のまま生きることはできない。
欲望を抑圧すると、これがストレスとなり、
肉体面には病気、精神面ではうつなど、
色んな現代病が発生してしまう原因を作っている。
欲望が悪いわけではない。
うまく発散させる術を身につけることが大切である。
スポーツをして汗を流してみたり、
カラオケで大声を出してみたり、
友人とおしゃべりしてみたり、
山や海など自然に触れてみたり、
また、自分の好きなことをやってみたりして、ストレスを発散させていこう。
欲望が悪いわけではない。
禁止され、抑圧されるから、偏って、執着し、ストレスを生むだけ。
あるがままの自分を受け止め、
理性を失うことなく、うまくストレスを発散していけば、
月日の経過と共に、執着することも、なくなっていくだろう。
何も難しいことではない。
偏ることなく、自分である程度やってみて、
満足したら、その物事にも執着しなくなる。
自分がやりたいと思っていること
心の奥底にしまって、表現する機会を待っている。
だが、周りの波を、よくよく見てみよう。
そろそろ、準備をしてもいいのではないだろうか。
人は、何かをやり始めようとしたときの精神は、とても素晴らしい。
その上、とてもエネルギッシュである。
それに感銘を受けて、色んな人たちが集まってくる。
時機を逃してはいけない。
純真な精神を失わないうちに、
自分の頭や心の中にある思想を書き出し、
整理しておこう。
大きなことじゃなくてもいい。
他人と比べることなく、自分にとっての大切な準備。
ただ何となく始めるよりも、
自分の進む道を思い描きながら、始めるほうが、やりがいがある。
秋も深まり始めたこの10月、
何か1つやり始めても、いいのではないだろうか。
やりたいことが見つかったら、
それが自分の器と合っているか否かを、
客観的に、見てみよう。
車に例えてみると、
タイヤ、ドア、ミラー、エンジン、マフラー、ハンドル…
それぞれ必要な部品であって、
どれも代用することは、できない。
それぞれが、自分の持ち味を出し、
必要なところに、必要な部品、
お互いが強調しすぎることなく、いる。
人間の世界も、同じようなもの。
自分の器でできないものを、
無理やり頑張ってやってもみても、ストレスが溜まるだけ。
「どんなことをすると、楽しい?」
「やりたいことと、それとは、つながっている?」
生きるための労働と割り切るのではなく、
現実の中での、自分の役割を見出してみる。
今の自分は、現実の自分であり、
仮の自分ではない。
他人と比べて、幸せ・不幸せを感じるのではなく、
現実の自分を見つめ直してみよう。
自分の器に合った職や人が、見つけられるはず。
意固地にならないで、ゆっくり、見つけてみよう。
おめでとう!
今日という日を、2人はきっと忘れることはないだろう。
何人もの人が、自分たちを祝福してくれ、
また自分のことのように、涙を流してくれた。
お互いが出会って今日までの年月と、
今まで生きてきた年月、
比べようもないぐらい、それぞれが大切な思い出ばかり。
これからは2人で、
もっと大切な思い出をつづっていくことだろう。
温かい愛に育てられ、すくすくと育ってきた自分を
心から喜び、祝福してくれている。
生まれ育った家に、今日からは帰らなくなる。
いつも会っていた家族にも、毎日会うこともなくなる。
当たり前のことだけど、なぜだかきゅんと胸がつまる。
結婚は、嬉しい反面、言いようのない寂しさが、胸をよぎる。
今日という日があって、
その嬉しさと寂しさは、最大限になることだろう。
今まで当たり前のように、受けていた家族からの愛をしみじみと感じ、
離れて暮らすという寂しさから、感謝の念が生まれる。
皆に祝福される2人
喜びと感謝と寂しさなど、色んな感情が渦巻いて、涙が止まらない。
今日という日を、2人はきっと忘れることはないだろう。
これからは、2人で、新しい家庭を築き、たくさんの思い出を作っていくことだろう。
結婚おめでとう!
道を歩いていると、どこからかキンモクセイの香りがする。
振り返って見回しても、どこから香っているのか、見つけられない。
そんなに強くもなく、心地よく漂っているキンモクセイの香り
秋だなあと感じる瞬間。
人それぞれ、好き嫌いはあるだろうが、
自分が好きな香りは、心を豊かにしてくれる。
日常生活の中で、
ほんのちょっとした四季を感じ、
今を生きているこの瞬間を幸せに思う。
仕事に追われ、機械的に生きている現代人たち
たまには、回り道でもして、
いつもの道と違う道を歩いてみるのも、
何かの発見になるかもしれない。
皆に平等にある時間を
ゆったりと使うことも、
たまには、いいかもしれない。
暑い夏が過ぎ、
過ごしやすくなった今日この頃、
足を伸ばして、今の季節を楽しんでみよう。
人との係わりの中で、エネルギーは循環される。
出せば、戻ってくる。
しかし出さなければ、入ってくることもない。
このことを基本に知っていれば、
奪い合ってケンカすることも、
寂しくて泣くこともない。
愛されたいと思っている人は、
特定の人だけじゃなく、色んな人の対応を、
もう一度考えてみよう。
「愛されたい」「認められたい」と望んで待ってばかりいないで、
自分から、穏やかな愛のエネルギーを発信できるようになろう。
誰かからエネルギーをもらっても、
使うとなくなり、また寂しくなる。
愛のエネルギーは、奪い合うと、すぐになくなり、
その後の寂しさは、計り知れない。
他人のエネルギーにばかり頼らず、
自分自身で、エネルギーを確立できるようになれば、
恋人だけでなく、友人関係でも、よりスムーズになるだろう。
老若男女に係わらず、
自分の周りの人たちを大切に思って接していく。
やがて、そのエネルギーは、回りまわって、自分へと戻ってくる。
エネルギーを求めすぎないで。
自分からエネルギーを出していこう。
神や仏から下りてきた言葉は、
いくつもの意味があり、深い。
その時々によって口調もそれぞれで、
~しなさいとか、キツイ口調に訳されることもあるだろう。
だけど基本は、それぞれが思った通りに生きていくこと。
日常生活での喜びが、1番である。
最近、地球温暖化により、人々のこれからの過ごし方が問われている。
文明を発展させ、自分たちの生きやすい地球にしていった人間たち。
地球の未来を考え、自然との共存が求められている。
今の時代、神示やスピリチュアルメッセージを受け取る人が多くなってきた。
受け取る人にも意思があり、自分の魂の成長も課題として生まれてきている。
スピリチュアルメッセージを受け取る人も、
自分のフィルターを通すとき、
内容や意味を曇らせることなく、発信していくことが求められている。
メッセージを受け取る人も、それを聞いた人も、
それぞれの立場や考えがあり、賛否両論になるのは、当たり前。
皆、自分が主人公の人生を送っているのだから、
スピリチュアルメッセージに一喜一憂するのではなく、
真摯に受け止め、自分の人生を生きる。
神示やスピリチュアルメッセージは、
サブの1つとして、心に留めておけばいい。
人生の主人公は、皆それぞれ自分自身。
それを忘れないようにすれば、自ずと今やることも見えてくる。
誰もいない砂浜に、足跡をつけてみる。
澄みきった青い海。
波の音も静かに聞こえる。
砂浜で座って、波打ち際を見ている。
風が頬を通り抜けて、空の彼方へと飛んでいく。
空を見上げれば、雲と青い空。
とても心が落ち着いている。
暖かい日差しの中、
のんびりとした休日を過ごす。
砂浜に寝転がって背伸びをする。
あー、何て気持ちの良い一日なんだろう。
遠い遠い昔の記憶。
とても心地よい私の記憶。
青い鳥を探して、旅に出る。
「見つけると幸せが舞い込んでくるんだって」
昔、誰かがそんなこと言っていたっけ。
幼き娘は、おとぎ話や童話に読みふける。
「きっと私にも、白馬に乗った王子さまが」
「きっと私にも、ガラスの靴が」…
大人になった今、幸せの意味を分からないでいる。
望んだものを手にし、仲睦まじい生活。
物語にあるような刺激のある生活を期待しているのかも。
波乱万丈な生活を送っていれば、平凡な生活を、
平凡な生活を送っていれば、何か刺激のある生活を夢見る。
大人になった今、また青い鳥を探し始めている。
「私の幸せは?」
「誰かが運んできてくれる?」
「あなたの望む幸せとは、どんなこと?」
「今の生活とは、程遠いものなの?」
物質や金銭で幸せを感じることもあるだろう。
でもそれを求め始めると、現状では満足できなくなる。
精神的な幸せを感じることもあるだろう。
人それぞれ感じ方は違うが、
自分にとってどんなことで幸せを感じるか、見つめ直してみればいい。
穏やかな生活を望むのなら、将来の生活ではなく、
今からの生活の延長線に将来があることを、もう一度改めて認識し、
穏やかな自分になっていこう。
青い鳥を探しても、幸せは運んできてくれない。
幸せとは、自分の心の中で感じるもの。
人と比べて感じるものでもない。
青い鳥=自分なのである。
10月17日(水)付け「神示」に対して、fakerさんからコメントをいただきました。
今日は、このタイトルで、スピリチュアルメッセージをおとどけしたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「神示とスピリチュアルメッセージの違いについて」
色んな言葉がある。
すべて人間が作り、意味をつけたもの。
共通の言葉を使うことで、発展を遂げてきた。
果たして「これが神示だ」と初めて言った人は、誰か。
その人は、本当に神の言葉を聞いたのか。
それを聞いた人は、なぜそれを神示だと納得したのか。
では、今流行っているスピリチュアルメッセージは、どうか。
答えは簡単である。
すべて同じ言葉。
人間が意味を持たせ、人間が作った言葉であり、
神示とスピリチュアルメッセージに、違いはない。
昔は、何年も修行をして、
仏になる道や、神に身を捧げる道に従事した人が、
儀式をして、言葉を受け取ったりしていたのだろう。
これは、日本だけでなく、
世界中で行なわれていたこと。
でも最近は、
そんな修行や儀式を行なわなくても、
言葉を受け取ることができる人が、多くいる。
昔からそんな人はいたが、
ここまで堂々と発言できる時代では、なかったのかもしれない。
修行をしたから、神示を受け取ることができるのではなく、
それができることを望んで生まれ、
自分や周りの人に、その言葉を伝えることで、
自分も周りも変わっていく。
それを喜びとしている人がいるからこそ、
今の時代の流れが生まれた。
修行をして資格を持っている人も、また持っていない人も、
すべてが同じ人間であり、
魂に上下関係はない。
ある人は、神示という。
またある人は、スピリチュアルメッセージという。
発信している言葉に違いはない。
問題は、それを聞く側の人たち。
その言葉を信じるか否かを決めるのは、人それぞれ。
有名な寺や神社でいただいたお言葉だから、素晴らしいのではなく、
自分の心に響いた言葉だから、自分にとって素晴らしい。
その基準は、他人と比べることなく、
自分自身の心に、聞いてみればいい。
自分にとって、どうか。
これから生きる時代に、求められていることである。
誰もが、自分のことを悪い人間だとは思わない。
冷静に、等身大の自分を見つめることはできない。
人は、自分の長所をうまくアピールすることはできるが、
短所を素直に認めることはできない。
何か試験に失敗したり、商談がうまく行かなかった時、
自分の短所を自覚し、やっと反省することができる。
等身大以上の自分を求められている世の中、
それに応えようとして、頑張っている自分がいる。
そのプレッシャーに耐えられるか否かは、本人次第だが、
必要以上に期待する周囲にも問題はある。
目標をいつからかすり替えてしまっていないか。
立ち止まって、考える必要がある。
「何のために、勉強をして、いい会社に入りたいのか。」
「何のために、商談を契約したいのか。」
「何のために、結婚して、子供を産みたいのか…。」
これはすべて、
生きていくための目標であり、
根本を忘れてしまっている。
「何のために、生きているのか。」
「それは、生まれてきた目的を達成するため」
生まれてきた目的、役割、使命などは、
人によって、それぞれ違う。
それを達成するために、今、生きている。
それは、修行僧のように、山にこもったりするのではなく、
日常生活の中で、達成できること。
生まれてきた目的がわかると、
自分の短所にも意味があり、
好きな人や苦手な人との出会いにも、
また成功や失敗にも、すべて必然だということが分かる。
そして、それらのお蔭で、
生まれてきた目的を、達成するきっかけが見つかる。
出来事を冷静に見ることができるので、
一喜一憂することなく、虚像を作り出すこともない。
すべては、自分から変わること。
他人のせいにしていては、
せっかくの自分が変われるきっかけをも、見逃してしまう。
今、何かで悩んでいるあなたにも、
その出来事の中に、変われるきっかけが、隠されている。
自分を卑下したり、後悔したり、他人のせいにするのではなく、
出来事の根本的な原因を、感じてみよう。
生まれてきた目的、役割、使命などは、人それぞれ違う。
そしてそれは、日常生活の中で、達成していくことができる。
暑かった夏が過ぎ、
過ごしやすい季節を迎える。
この季節になると、なぜだか人恋しくなる。
久しぶりに友人や実家に連絡するとか、
何かを始めてみるとか、
体が行動を始めたがっている。
季節の変わり目は、
体がだるくて、気分が優れないときもあるだろう。
そんなときは、無理をしないで、
ゆっくりするのも良し。
お天気がいい日は、カーテンを開けるだけで、
太陽が元気をくれるかも。
少し具合が良くなったら、
気分転換に、散歩に出かけてみよう。
清々しい風が、頬をなで、木の葉っぱを揺らしている。
枝にとまった鳥たちも、楽しそうにさえずっている。
柔らかな木漏れ日の中、大きく深呼吸してみよう。
大自然の気を吸い込み、リフレッシュ
季節ごとに、街の顔も少しずつ変わり、
ショーウィンドーを覗き込む。
無防備な自分の顔がガラスに映り、
何だか笑いそうになる。
気に入ったものを、2~3買うと、
少し、心が弾んでくるかも。
帰りは少し遠回りして、秋の雰囲気を堪能してみよう。
誰でも、体調が悪くなったり、気分が優れないときはある。
感情の起伏を感じながら、うまく自分と付き合っていこう。
人は表面的な顕在意識と、
自分でも知らない潜在意識とがある。
自分のことを、よく知ろうとすればするほど、
現実とのギャップに驚いたりする。
また昔からなぜだか分からなかったが、
無性にこだわるものや好きなことが、
潜在的な自分を知ることで、納得できることもある。
自分って、わかっていそうで、わかっていない。
なりたい自分って、本当は、どんな人?
都会の雑踏にかき消され、言葉がぐるぐる回る。
外に答えを求めないで。
自分を冷静に見たいときは、まず自分の聞きたいことを書き出して。
自分が何を考え、迷っているのかが、客観的にわかると、
迷っていた根本的な事柄が、見えてくるかも。
あなたが今、ここで生きているのは、偶然ではない。
自分で、この環境を選んで、生まれてきている。
悩んでいる今が、とても大切な時期。
投げ出したり、落ち込んだりしないで、
少しずつ、行動していこう。
あなたが1人じゃないことを、
きっと気付くときがくる。
肩こりにも色んな原因がある。
肩が凝っているからといって、肩をほぐすのではなく、
腕や指の使いすぎが原因になっていることも多い。
また、骨盤のズレなども原因の1つだったりして、
左右の足の長さが違っていたりする。
後は、食事のときの噛み癖、
左右どちらかで噛んでいると、それも肩こりの原因。
後は、エアコンの風が、どちら側から来るとか、
窓を開けて寝ているのなら、窓の方向や、
テレビを見るときの自分の位置、
パソコンといすが正面でなかったり、
パソコンの画面を見すぎて、目が疲れてしまっていたり…。
色んな原因があって、肩こりとなる。
結果だけを見て、肩こりの治療をするものではない。
世の中も、今同じようなことが起こっている。
結果だけを見て判断し、そうなった原因を責めているだけ。
そうならないように、改めようとしていない。
それが、すべてをおかしくしている。
そうなった経過を改めると、同じ過ちを犯すことはない。
1つずつ改めていけば、少しずつ変わっていく。
私が習っている気功の先生が、
先月太極拳イベントをされ、
その内容が、今日(10/25)スポーツ報知新聞に掲載されました。
よろしかったら、ご覧くださいませ。
また詳細は、「真帆片帆」のブログにあります。
http://www.reimeiken.com/kikou/
携帯からご覧になられる方は、こちらです。
http://reimeiken.com/MT/keitai/mt4i.cgi?id=2

透明な時間
何も考えず、凛とした自分がいる。
人の声やテレビの音も聞こえなくなり、
いつもの場所にいるのに、まるで違うよう。
心の目を開いて、静かにしていると、
色んな出来事が走馬灯のように、思い出す。
泡の中に、それぞれの出来事が入り、
どんどん、上に上がっていく。
いつの間にか、自分が海の中にいて、
自分の吐き出す泡を見ていた。
海面が太陽の光を浴び、
水の中まで、その光が下りてくる。
身体が、光に包まれ、
内側から光り始める。
人によって、好きな音楽は異なる。
でも音楽を聴いたときの心の感動は、皆同じ。
好きか嫌いか、
合うか合わないか、の違いだけ。
同じ嗜好であっても、まったく同じ人はいないだろう。
人は、自分を基準に決め事をするクセがある。
人は人、自分は自分、これをきちんとわからないと、押し付けがましいことになる。
音楽もそう。
クラッシック、ジャズ、ロック、ポップ、
シャンソン、タンゴ、賛美歌、ゴスペル、
演歌、民謡、童謡…、
その人にとって、ホッとする音がある。
特にこだわりはないけれど、
音楽を聴くと体が動くとか、気持ちが嬉しくなるなど、
音には、不思議な力がある。
音を表現する。
この耳に聞こえている表面的な音だけでなく、
空気の振動で伝わってくる音も体で受ける。
魂から感じる音は、
好き嫌いに関係なく、感動を受ける。
そう考えると、
自然の中にある、雨の音や、
木がなびく音、
葉が落ちる音、
雪の中でしーんとした音、
海の中のゴーという音…
無限大に、音が広がっていく。
自分にとって、
落ち着く音楽、
嬉しくなる音楽、
泣きたくなる音楽など、色々あるが、
感情をコントロールするために、使ってみるのもいいだろう。
無理をしないところで、少し休む。
私たちの周りには、
自分を元に戻してくれる要素が、
たくさん転がっている。
音色に誘われて、街を散策する。
ハスキーな歌声
ピアノの音
サックスの音
チェロの音
ベースの音
マラカスの音
皆の笑い声と拍手
瞳を閉じ、音のコラボレーションに耳を傾ける。
懐かしい音色に、魂が揺さぶられる。
演奏を終えた人も、観客も、その顔は、輝いていた。
鳴りやまない拍手
皆が一体となり、魂が喜んでいた。
阿佐ヶ谷ジャズストリート
街に音楽が溢れ出す。
今年は、10月26・27日の2日間だけ
たまには、日常を離れ、
音符の中に身をゆだねてみるのもいいかもしれない。
普段会わないような色んな人とのエネルギーの交換ができるだろう。
人によって、人生の課題はそれぞれ違う。
自分の目の前に起こっている問題を
客観的に見てみると、
いつも同じ壁にぶつかっていることがわかるだろう。
人は、他人のことは、客観的に見て、アドバイスすることができるが、
自分のこととなると、大抵の人は、できない。
それは、自分が主役の人生を、皆が送っているから。
もう1人、脇役の自分を立てることで、
主役の自分の周りの気持ちを感じることができてくる。
自分の目の前にある問題、
それは、あなたが成長するためのきっかけであり、
超えられるものである。
他の人から見ると、難なく見える事柄でも、
自分にとっては、とても大切なこと。
その事柄を、うまく解決できないのは、
事柄の根本と向き合っていないから。
面倒だからと、流れに任せてしまったり、
やめてしまったりしては、解決になっていない。
その場をうまく取り繕うのではなく、
そうなった経過を見つめ直すこと。
物事は、原因と結果だけでなく、
それに至る経過を見ていくことが大切になってくる。
そして、問題が起こったことを素直に認め、
改善していく心が求められる。
人生の課題は、すべて自分が作ったもの。
少しずつ改善していけば、絡み合った事柄も見えやすくなっていく。
美味しいと思って食べるのと、
機械的に食べるのとでは、体に入ったときのエネルギーが違う。
料理を作るときもそう。
美味しいものを作ろうと思いながら料理をすれば、
その気持ちが、食べ物に伝わる。
イライラしながら機械的に料理をすれば、
やはりそのイライラが食べ物に伝わる。
昔食べた母の懐かしい料理も、
同じレシピでチャレンジしてみても、
何かひと味足りない気がするときは、ないだろうか。
子を思う母の気持ちが、その食べ物に伝わり、
それがより一層美味しくさせている。
何事も、自分の気持ちから。
食欲の秋
その時々の旬の食べ物を口にし、
楽しい思い出と一緒に、体に取り込んでいこう。
私が習っている気功の先生が、
先月太極拳イベントをされ、
その内容が、10/25のスポーツ報知新聞に掲載されました。
新聞記事は、こちらです。
パスワードは、「1」です。
また「真帆片帆」のブログで、その日の詳細をご紹介しております。
http://www.reimeiken.com/kikou/2007/09/post_7.html
よろしかったら、ご覧くださいませ。
どんなに謝ってみても、傷ついた心は完全には戻らない。
売り言葉に買い言葉、
わかっているのに、出てしまう。
後で冷静になれば、
何てバカなことを…と、落ち込む。
多少時間はかかるが、仲直りをしたとしても、
基本の価値観の違いは、蓋をしただけ。
その違いがとても大切な事柄なのか、
笑って許せることなのかを、見つめ直してみると、
今後の自分たちが見えてくるだろう。
誰にだって、間違いはある。
皆が完璧でないことは、わかっている。
それは、自分も同じこと。
自分の考えや行動を冷静に見、
他人のせいにしないで、考えてみる。
そして傷口が浅いうちに、早め早めに謝る。
表面だけで謝るのではなく、心を伝えて謝る。
今が現実。
これからが、自分が切り開く未来。
今までの行動を改めながら、
人と接していくことが、学びの一環。
時計の針は戻らない。
だけど、これからの時計の針の進み具合は、自分次第である。
ほどんどの人の心の中には、「暗鬼」という鬼が住んでいる。
自分に自信がなくなってくると、その暗鬼が動き始める。
悲しい
羨ましい
褒められたい
憎い
うっとうしい
色んな波動を出しながら、人を疑い、周りの人を巻き込む。
それは、寂しさの裏返し
周りの人は、その波に巻き込まれないようにしながら、
大いなる母の愛(慈愛)を送ってみよう。
今まで大きくて怖かった暗鬼が、愛の光に癒され、
シクシク泣きじゃくる可愛い子供の暗鬼へと変わっていくだろう。
誰もが、この世の中に、
何かを学ぶために、生まれてきている。
傷つけあうために、生まれてきたのではない。
何かの問題が起きたとき、
本人や、それを取り巻く周りの人たちにも、
何かしらのメッセージが隠されている。
その根本的な問題に気付かない限り、
環境を変えても、周りの人たちを変えても、
同じような問題は発生するだろう。
問題を他人事で、終わらせないで。
暗鬼が暴れだしている本人はもとより、
周りの人たちも、
その原因の何かしらに、係わっている。


