行き違い
相手を想っての行動や言葉は、
相手の精神状態によって、受け取り方が変わってくる。
「あなたを想ってやったのに」
よく喧嘩になる原因の言葉。
「あなたを想って、私がやりたいと思ってやった」のなら、
その行動の責任は、自分である。
人は、誰かの役に立てたとき、とても嬉しい。
だけど、相手から何の反応もなければ、悲しい。
相手に期待するから、色んなことが悲しくなる。
自分の責任の下、行動することで、
同じ反応でも、受け取り方が変わってくる。
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相手を想っての行動や言葉は、
相手の精神状態によって、受け取り方が変わってくる。
「あなたを想ってやったのに」
よく喧嘩になる原因の言葉。
「あなたを想って、私がやりたいと思ってやった」のなら、
その行動の責任は、自分である。
人は、誰かの役に立てたとき、とても嬉しい。
だけど、相手から何の反応もなければ、悲しい。
相手に期待するから、色んなことが悲しくなる。
自分の責任の下、行動することで、
同じ反応でも、受け取り方が変わってくる。
鏡に映る自分をまじまじと見る。
同一人物なのに、なぜか違和感がある。
写真で見る自分とは、左右が逆転している。
人の顔って、左右対称じゃないんだなあと納得。
同じ自分でありながら、毎日見る鏡の中の自分に違和感を覚える。
三面鏡で角度を変えながら、たくさんの自分を映し、
懐かしい自分を捜している。
人は他人に対しても、
同じように、自分と似た懐かしいところを探して安心している。
お互いに認め合って、共感していければ、いいと思う。
鏡の中の自分も、鏡の前に立っている自分も、
本当は、同一人物。
顔も性格も違う他人同士も、
最初の人間が誕生したところまで遡れば、
同じ祖先にぶち当たる。
他人のことも、自分と同じ人間だと思って付き合っていくと、
案外争いごとは、起きないかもしれない。
普段あまり聞かない音に、圧倒されながら、
スポットライトを浴びた役者たちの演舞を、
食い入るように見つめる。
しなやかな手の表現で、
何もない舞台に、背景が浮かび上がる。
草原を走る人たち
周囲を敵に囲まれ、敵が近づいてくる恐怖
川を渡る馬
飛び散る水しぶきさえ見えてくる。
観客と舞台が一体となり、
会館一体に、その風景が見え隠れする。
聞きなれなかった音が、
やがて自分の中で消化し始め、
遅まきながら、自分もその風景の中にとけ込んでいった。
日常生活を離れ、
たまには、中国の文化を肌で感じてみるのも、
いいかもしれない。
それぞれの国に伝わる文化
お互いの国を尊重し、交流していく心は、
これからの時代に、必要。
日本の歌舞伎も、
現在色んな国で上演され、様々な人から喝采を浴びている。
国は違っても、感動を覚える人の心は、皆同じ。
無心に喜び、無心に拍手を送っている。
このような異文化の交流は、やがて世界の潮流となり、
人々の心を、喜びと感動でつないでいくだろう。
人との出会いは必然、別れも必然
出会ったことに、意味がある。
別れることにも、意味がある。
お互いが生まれる前に交わした約束
「出会って、刺激しあって、何かを学ぶために、またどこかで会おう」と
その約束は果たされた。
学びを得たか否かは、本人の心構え次第。
良い結果も、悪い結果も、
今となっては問題ではない。
「その人から何を学んだか」
それが、今後の人生を変えていく。
出会ったことに、感謝
別れることにも、感謝
人生の目的や表現力は、
皆それぞれ違う。
道路のように、
交差点で、人は出会い、
何かを学び、
また道は、離れていく。
道が違うから、別れのときがある。
そこに、理屈などない。
交差点の中で、貴重な体験をし、
色んな人とのつながりを得られたことに感謝し、
相手を立てて、別れる。
良い結果も、悪い結果も、
学びの一環としてとらえ、
うまく行かなかった根本的な原因を見つめ返しながら、
一歩踏み出す勇気を持とう。
出会ったこと、別れることに、感謝の念を送りながら。
グレーの世界に、一筋の光が下りる。
自分自身を偽らず、
誠意を持って、人と接する。
人に対して、何の期待も抱かず、
自分の心、赴くまま、
そして、責任は、自分で取る。
相手に期待して、見返りを求めてしまうから、不満が募る。
相手に頼ってしまって、自分が確立しないから、寂しくなる。
思い込みが激しくて、勘違いしてしまうから、怒りが生まれる。
もっとリラックスして。
冷静になれば、きっとわかるはず。
誰もあなたを傷つけようとしていない。
一条の光は、皆の上に下りてきて、
全体を光で癒していく。
身体も、心も、癒され、
内側から、光があふれ出していく。
自己中心的な考えがなくなり、
自分の身体を労わるように、周りの人たちにも、心配りができていくだろう。
誰もが、そうなることができる。
一条の光に、気付くか、気付かないかだけである。
アメジストさんから、下記のコメントを頂きました。
れいめい拳でスピリチュアルメッセージをお届けしたいと思います。
アメジストさんのコメントです。
「いろいろな出会いや別れがあると思います。
たとえば男女間であっても、結婚という形も友人という永遠の関係もあるし。
すべての出会いや別れに意味があるとすると・・・
まず、結婚した人。至らなかった人。またその後の別れ。
の意味は?どうでしょうか?」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
出会いと別れ
~結婚した人、結婚に至らなかった人、その後の別れ~
出会った人と恋に落ち、結婚するか、しないかは、
お互いの人生の中で、相手を必要としているか、していないかの違い。
そしてもう1つ、
2人だけで結婚が成立するわけでなく、家同士の関係も係わってきている。
「好きになったので、結婚する」
若い頃なら、それだけでできるかもしれないが、
色んな経験を積んでいくと、
自分の将来像をある程度作ってしまっていて、
その将来に、相手が必要か、親の面倒はどうなるのか、など、
色んな問題が絡み合ってくる。
出会った相手が、もう結婚している場合もあるだろう。
友人という形で、お互いの人生を助け合っていく人たちもいる。
そこには、見返りを求めないことが、関係を保つポイントである。
では、独身同士の男女が出会い、
恋に落ち、なぜ結婚しなかったのか。
なぜならば、2人は若すぎた。
もしくは、2人は若くなく、
自分自身の将来像を何となく持っていて、
その将来には、相手でなくても良かった。
そのときに一緒に過ごした時間に、学んだことで満足したから。
生まれる前に、約束したことは、
「出会って一緒に時を過ごし、何かを学ぼう」
「別れること」まで約束して、生まれてきたわけではない。
別れるということは、
学びに満足した、もしくは学び終えたということ。
まだ一緒にいるということは、
2人で学ぶテーマがあり、それを学んでいるということ。
例えば、家族であれば、家族という形を取って、何かを学ぶだろう。
学びの中でも、深い、浅いがあり、
どんな学びを得ようとしているのかによって、一緒にいる年月は変わっていく。
お互いを想い、一緒にいる2人がいる。
お互いの立場を想い、離れていく2人もいる。
出会いと別れは、人それぞれ、
学びの深さと情が絡み合って、一概には、言えない。
出会ったときは、「愛」で満たされていた2人、
いつしか「愛情」となり、
それが「情」だけになってしまったとき、
一緒にいられるのか、否かは、
それぞれが目指す将来像によって、変わってくる。
私たちは、日本に生まれたということにも、学びがある。
そしてここにコメントしてくださったアメジストさんにも、
コメントをしたことから、何かを学ぶだろう。
私は、アメジストさんのコメントから、スピリチュアルメッセージを下ろし、
そのメッセージから学ぶことがあった。
そしてこのブログを他の人がご覧になって、学ぶこともあるだろう。
学びは、色んなところに、隠されている。
人は結びつきを強くしたり、その関係を解消したりする。
これが現実である。
それを悲しく思い、不条理とも感じる。
今、私たちが真に、必要としているのは、経験であり、
今痛みを覚え、感動し、その感情を深く魂に刻むことである。
過度に、恐れ、悲しむ必要はないが、
今、心が波打とうと、現実を淡々と受け入れてみよう。
あなたも私も、カオスの中で、魂の向上を願う1人である。
人との意見が食い違うのは、当たり前である。
その意見を聞いて共感するか、譲歩するか、否定するか…。
もし意見が違ったとしても、
冷静になって対応できるときは、争いは起きない。
感情的になってしまったときに、争いは起きる。
怒りや悲しみなどの感情から、
非難、誹謗、中傷などという行動を起こし、
第三者を巻き込んでしまったりする。
原因を見つめ直せば、ほんの些細なことだったり。
コミュニケーションを取っていれば、問題が起きなかったことも多いだろう。
わざと人を傷つけようとして、行動を取っている人は別だが、
普通は、できれば穏やかに平和に暮らしていきたいと、誰もが願っている。
自分とまったく同じ経験をし、考えを持っている人は、
ほとんどと言っていいほど、いない。
考えや物事の受け取り方が、それぞれ違うことを念頭に置き、
お互いに理解し合える言葉で、コミュニケーションを取っていこう。
真摯に心を伝えていけば、争いごとは起きない。
自分の意見を無理やり押し通そうとして、人をコントロールするから、
争いごとが起きる。
意見は、押し付けるのではなく、相談。
お互いがそのような姿勢で話し合いに臨めば、
案外スムーズに物事が運んでいくだろう。
よく晴れた秋空の下、1人の友が旅立っていく。
今の現実を受け止め、更なる未来への自分を求めて。
彼女にどんな出来事が待っているだろう。
どんな人たちと巡り会うだろう。
1つひとつのことが、すべて学びの一環。
健康に留意して、対処していけば、
きっと色んな学びを得ることができるだろう。
旅立つ勇気と、
その旅立ちを許した家族の寛容さに、
大いなる力が、働きかける。
「気をつけて、また会いましょう」
清々しい秋晴れの下、
笑顔で手を振る友が、小さくなっていった。
物事の始まりは、いつも慌しい。
準備に準備を重ねても、まだ何か物足りない気がする。
躊躇していても、月日は流れる。
思い切りよく、「エイヤー!!」の掛け声と共に、
物事をスタートさせてみよう。
始まりには、たくさんのエネルギーが必要である。
何かを始めようとしている人は、
色んな人と会って、エネルギーの交換をして、
「動」のエネルギーを活性化させよう。
何か始めるときは、自分からエネルギーを出していく。
補充は、自分で大自然のエネルギーを取り入れておく。
自分からエネルギーを出していくと、
色んな人が集まってきて、助けてくれるだろう。
それに恐縮することなく、心の底から感謝し、その行為を受けてみよう。
自分が体感した感謝の念を忘れることなく過ごしていれば、
また誰かがスタート地点に立ったときは、
今度は、自分が手助けできるだろう。
人と人とのつながりは、こうして深まっていく。
物事を何か始めようとしている人
決意新たに始めた人
色んなタイミングの人がいるだろうが、
悩んだり、迷ったりしたときは、もう一度原点に返り、
自分の理想と現実とを見比べてみる。
本当にやりたいことは何なのかという理想と、
今まで嬉しかったことや楽しかったことは、何なのかという現実、
そこをどう、うまくかみ合わせていくか、
そして今一度、何をやっていきたいのかを考えてみよう。
自分が嬉しいと思うこと、楽しいと思うこと、
それは、きっと将来につながっていく。
物事を始めるためには、たくさんのエネルギーが必要である。
人とのコミュニケーションを今以上密にし、
助け合いながらやっていこう。
始まりに対し、大いなる大自然のエネルギーに、
皆が包まれることを、心からお祈りする。
「おめでとう」
木の温もりを肌で感じながら、
家の中心で上を眺める。
太陽の光の筋が、家の中を照らし、
また違った風合いを見せてくれる。
家の中では空気が滞ることなく、
清々しい気が、満ち満ちている。
ベランダに出れば、さざ波の音がBGMとなって、
心を癒してくれる。
色んな人たちが集い、
自然の中に身を置くことで、
身も心も癒され、また日常生活に戻っていく。
忙しすぎる現代人にとっての癒しの場所
人は、この場所を、
「人間が人間らしく生きることを思い出す家」と呼ぶことだろう。
裸足で家を歩きながら、
木の温もりと太陽の日差しに感謝する。
夜になれば、星を眺め、
夢を語らい、眠りに落ちる。
太陽の日差しと波の音で、朝を知り、
大自然の恵みに舌鼓を打ちながら、
ここで生きていることに感謝する。
自然と共に生き、
出会った人たちに助けられ、皆で夢を達成していく。
この場所は、そのきっかけになっていくだろう。
秋の海は、夏と違って、また風情がある。
誰もいない砂浜に座り、何時間も海の音を聞いている。
寄せては返す波を見ているうちに、
色んな日常が思い出されては消え、
やがて何も思い出さなくなった。
自然は厳しく、思い通りにはいかないが、
見返りを求めなければ、裏切らない。
人はその自然と、これからどう生きていくのか、
こんなに癒される海も、海底では変化が起きている。
その変化をストップさせるのは、
たくさんの人の協力が必要になってくるだろう。
自然と共に生きてきた人間、
自然を支配するのではなく、
共存していく心をたくさんの人が持つこと。
自然からのSOS信号
小さな信号で見落としがちだが、
それをそのままにしておくと、
このきれいな海さえも、将来どうなっていくのか、わからない。
人は自然の中で癒される。
どんなに科学が発達しても、
どんなに高度な生活をしていても、
大自然から受けるエネルギーにはかなわない。
海を眺めて癒されながら、
将来起こりえる海の姿を想像し、
自分でできる、ほんの少しのエコロジーを
大切に実践していこうと思った。
色あせた1枚の写真、
思い出が、昨日のようによみがえる。
心の思い出は、
強烈に楽しいことか、悲しいことしか心に深く刻まれていなく、
長い年月が過ぎ去ると、その強烈さも、薄らいでいく。
でも写真は、その場面ごとにすべて残してくれていて、
そのときの感情までも、伝わってくる。
どんな壁にぶつかって、悩んでいたのか。
何が楽しくて、笑っていたのか。
そして、今の自分は、どうなのか。
懐かしい写真を見ると、懐かしい友と会いたくなる。
懐かしい友に会うと、昔の写真を見たり、昔の話をしたくなる。
人は、過去を懐かしむ。
でも日常生活を過ごしていると、すっかり忘れてしまっていて、
「自分」がどうなのか、わからなくなり、ふと不安になる。
今出会っている人は、今のあなたを見ている。
過去のあなたは、今のあなたを作った産物。
色んな経験をして、
色んな思い出が詰まったあなたが、今のあなたである。
あえて、何も言わなくても、
今のあなたの行動や言動が、すべてを物語っている。
人は体験することで、成長していく。
周りの人に、何も言わなくても、すべてが伝わっていく。
今の自分に自信が持てなくても、今までのあなたの対応で認められていく。
そしてこれからも、一期一会を大切にして、
自分なりの対応をしていけば、
自分に迷うことなく、未来への道を歩いていくことだろう。
昔を懐かしむのはいい。
楽しかったり、悲しかったり、
そのときの感情や対処を思い出すから。
それを、今の自分に置きかえて、考えていけば、
自分の欠点や長所がわかり、
どんどん変わっていくことだろう。
先日、女優の高樹沙耶さんのエコハウスを訪れました。
そのときに受けたスピリチュアルメッセージを、
皆さまにお届けいたします。
尚、高樹沙耶さんは、現在、
月曜~金曜日 午前9時55分~11時25分、
フジテレビの情報番組「ハピふる!」のメインキャスターを務めていらっしゃいます。
「人間が人間らしく生きることを思い出す家」
人が人を呼び、その人たちの感動を、この家がまた吸収する。
循環する気が、心地よく魂に染み入る。
自然の流れに任せ、人の生きるエゴをエコに変え、
自分たちと自然とが、共存していく。
誰もが望んでいる自分の生きていく価値を、
この家で時を過ごすことで、
本人たちが見つけ出すきっかけを見つけるだろう。
縁が縁を呼び、色んな人たちが集まってくるだろう。
人生は体験すること。
自分が体験することで学び、
また新たな道に向かって、歩いていくことだろう。
またそのときの詳細は、
気功教室『真帆片帆』と
れいめい拳のイベントに掲載しております。
内容や写真は、別々です。
<気功教室『真帆片帆』>
http://www.reimeiken.com/kikou/2007/11/post_3.html
<イベント>
http://www.reimeiken.com/event/2007/11/post_7.html
携帯サイトはこちらからご覧いただけます。
<気功教室『真帆片帆』の携帯サイト>
http://reimeiken.com/MT/keitai/mt4i.cgi?id=2

<イベントの携帯サイト>
http://reimeiken.com/MT/keitai/mt4i.cgi?id=3

海の恵み
山の恵み
田畑の恵み
すべての恵みは、大地から
人や動物、植物が生まれ、滅んでいく。
そしてまた、新しい命が生まれる。
その過程に、いつも大地がある。
何気なく過ごしている日常に、
ふと、生命の循環を感じる。
昔、人と自然は共存していた。
自然を尊重し、感謝し、生きていた。
それを思い出し、太陽や雨にも感謝し、生きてみよう。
すべてを生み出す大地、
母なる大地に感謝し、この時代を共に生きていこう。
今年初のボジェレーヌーボ
今年のブドウの出来が、今日試される。
「今年はどんな味になっただろう。」
「天候に、左右されたか。」
作り手の色んな想いを乗せて、
日本にやってきたボジョレヌーボ
お祭り気分で、口に含ませ、若いブドウの味を楽しむ。
日本中が酔いしれる日
ワインを批評する人も、
飲んで楽しむ人も、
分け隔てなく、グラスにワインを注ぐ。
今日は、ボジョレーヌーボの解禁日
何だか街中が、楽しげに賑わっている。
物事がスタートしたときは、色んな人のエネルギーがあいまって、
とても華やかさがある。
だが、その華やかさは、いつまでも続かない。
大地に根ざすためには、ある程度の時間と継続する心が必要である。
お店や事業を始めた人
転職した人
物事をスタートさせた人
色んな始まりがあるが、あなたの決断は、間違っていない。
人には、それぞれの生活スタイルがある。
あなたの始まりを祝う心は、周りの人にあったとしても、
それを自分の生活に取り込むには、時間がかかる。
今、始めたばかり。
ここに、私がいると、看板をあげたばかり。
それが周りに認知され、
周りの人の流れを取り込み始めるには、
やはり1年以上、かかるだろう。
まずは、3ヶ月、半年、そして、1年、
最初は、少しずつしか変化は見えなくても、
2年、3年と月日が流れていけば、周りに認知され、流れを取り込めるようになる。
継続は、力なり
耐え忍ぶわけではない。
いつでも、やめることはできるし、
表現方法を変えることもできる。
迷ったときは、
自分がやろうとした原点に、心を戻し、
今の自分はどうなのかを、自問自答してみよう。
物事を始めるのも、あなた
やめるのも、あなた
軌道修正は、いつでもできる。
それをやろうとした自分と、今の自分を見比べながら、
柔軟な頭で、見つめていこう。
あなたがやりたいと思ったこと。
それを今表現し始めた。
周りも、その影響を受けながら、
自分の生活スタイルを見直していくだろう。
物事を始めようとしたあなたは、とても素晴らしい。
それを継続していくあなたは、もっと素晴らしい。
先のことが見えなくて、戸惑っている時代
何を信じて生きていけばいいのか、分からなくなる。
人との付き合いや、自分の身に振りかかってくる事柄、
1つひとつをきちんとこなしていけば、
答えは必ず出てくる。
焦らなくていい。
答えは、求めても、すぐには返ってこない。
肩の力を抜いて、等身大の自分で生きていこう。
この手の持ち主は、私の信頼する治療家の手
言葉は多く語らず、この手の意思が動くのに、任せている。
患者さんの身体に痛みを聴き、表面的な結果ではなく、
そうなった最初の原因へと痛みをさかのぼる。
そして、患者さんに一言
「頑張りすぎていますね」
患者の頑なになった心が、一瞬にしてとけ、信頼が生まれる。
後は、身体を調整していけば、
患者さんの身体は、自ずと戻る。
治療とは治すのではなく、本来の身体に戻す手助けをすること。
本人の自己治癒力を無視して、治療家が治したとしても、
患者さんの心まで治っていない。
心を正常な位置に戻すと、
自己治癒力が働き始め、痛みが自然と取れていく。
治療家と患者さんとは、そういう関係になって行けばいい。
私の信頼する治療家は、無口だけれど、心の声を聞いてくれる、
とても素晴らしい人である。
この方は、気功教室『真帆方帆』(まほかたほ)で、紹介しています。
よろしかったら、こちらをご覧くださいませ。
http://www.reimeiken.com/kikou/2007/10/post_9.html
携帯用のURLは、こちらです。
お出かけの際に、お気軽にご覧くださいませ。
http://reimeiken.com/MT/keitai/mt4i.cgi?id=2

おへそのちょっとしたにある丹田で呼ばれている場所
それは別名、副脳とも呼ばれ、魂の記憶が詰まっている場所と言われている。
「魂の記憶」
何も習っていないのに、作品が上手くできたり、
専門的な事柄をよく知っていたり…。
また、その事柄にすごく興味があったりするときは、
昔、自分が行なっていた可能性がある。
人の生まれ変わりを信じるか否かは、人それぞれだが、
もし生まれ変わりがあると仮定すれば、
その丹田(副脳)に色んな記憶が詰まっていて、
現在の自分を補っていると考えても良さそうである。
自分の中に、どんな記憶が詰まっているのか、
とても気になる人もいるだろう。
やみくもに、それを知ったからといて、
今の生活に、どんな影響があるか。
影響のある事柄が、必要なタイミングで、知ることになる。
それを知るタイミングは、やはり人それぞれであり、
自分の日常生活の中で、垣間見ることができる。
丹田に気を落とし、感情に左右されないようにして、
日常生活を過ごす。
色んな人との係わりで、心の葛藤をするだろう。
いつも物事に対して、誠実に対処していくようにしていけば、
自分という人間の内面が、見え始める。
誰かに言われなくても、自分自身でわかっていくだろう。
自分にとっての天敵、案外「映し鏡」だったりする。
同じように気がつき、同じところを重んじ、同じところに腹が立つ。
関係がうまくいっているときは、無二の親友になる可能性もあるが、
一旦関係がおかしくなると、何をするにも、意見が食い違う。
どちらかが一歩引き、関係を保つことができていれば、いいのだが、
相手に期待をし過ぎ、自分の思い込みだけで行動してしまうと、
もうどうしようもない。
そうなったら、意地を張らないで。
そして、相手を馬鹿にしないで。
この人生で出会ったことに意味がある。
その意味を、当の本人同士が分からなければ、周りがいくら言っても、分からないだろう。
人間の命に上下はない。
高圧的な態度を取れば取るほど、周りの人は、あなたから離れていくだろう。
自分の内面を見つめ直してみる。
次に、周りの人たちの反応を見て、自分の行動を、もう一度見つめ直してみる。
常識か非常識かは、自分を基準で考えてしまっていることが多い。
自分の意見だけに凝り固まらず、柔軟な頭で、過ごしてみよう。
今、無二の親友や友人になっている人の中で、意見がぴったり合っている人がいるのなら、
お互いの距離を少し保って、お互いを尊敬しあいながら、関係を続けていくこと。
相手を想いすぎて、自分だけの思い込みで走ってしまうと、
お互いの関係にズレが生じ、
「こんなはずではなかった」と後悔するかも。
天敵になる人は、出会ったときから、そんな関係ではなかったはず。
お互いを尊重し合っていけば、関係は保たれる。
人間関係は、コミュニケーションをよく取ることが大切である。
先日、知人のところにお子さんが誕生しました。
その子が思っていることを、スピリチュアルメッセージとして、下ろしたいと思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「うまれたよ」
温かいママの腕
大きくて不器用なパパの手
ガラス越しに、自分を見てくれている人たち
どの顔も、優しく微笑んでいる。
この皆の愛を一心に受け、育っていきたい。
この小さな手で、何ができるだろうか。
この目で、どんなものを見ていくのだろうか。
今、この世に生まれ、
たくさんの人の愛を肌で感じる。
色んなことをやっていきたい。
ボクの生まれてきた目的は、
「どんなに大変なことが起ころうと、糸口は見つかる。
複雑な問題を分かりやすく説明していきたい。
人は分からないことはない。頭でシャットアウトしているだけ。
自分はそれぞれの人に合う表現で、そのことを説明していきたい。
一部の人ではないよ。それぞれの人たちにだよ。」
きっとやっていけるよね。
ママとパパが、ボクに愛情を注いでくれている。
ボクは皆に、その受けている愛を表現していくよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人は誰もが、生まれるときには、
もう意思を持ち、自分を表現することができます。
お腹の中にいるときから、もう耳は聞こえ、
パパやママの声を判断していると言われています。
親が、生まれた子のタイミングを望んでいても、またそうでなくても、
子供は、パパとママを選んで生まれてきます。
そして親子共々お互いに成長し合っていくのです。
肉体レベルでは、親と子であっても、
魂レベルでは、そのことはあまり関係ありません。
お互いが対等な立場にあり、
この人生で家族になることで、
お互いに刺激し、成長し合っています。
あなたも昔、このように、両親を選んで生まれてきました。
そしてお互いに刺激しあって、成長してきています。
仲が良い・悪いではなく、
家族という一番何でも言える関係の中で、
切磋琢磨することは、とても深い学びを得ることができます。
無防備な赤ちゃんの笑顔を見ると、
自分の日常に起こった些細な出来事も、
あまり気にならなくなってしまいます。
子供たちから教わることは、多いですね。
目を閉じると、誰もいない世界のように、
静かで、穏やかな風だけが、漂っている。
木々が風になびき、
落ち葉がカサカサと音を立てて舞う。
時折り聞こえてくる車のエンジンの音
上を見上げると、雲1つない青空
両手を広げて伸びをし、
新鮮な空気を思いっきり吸って深呼吸
都会の雑踏を離れ、
たまには、自然の中に、身を置くことは、
肉体的にも、精神的にも、いいことかもしれない。
パソコンや携帯に追われることなく、
落ち葉の絨毯を踏みしめながら、
里山の頂上へと登っていく。
誰にだって、うっかりはある。
それを、反省して、次にはしないように心がけるか、
何回も同じようなうっかりをするかは、その人の心がけ1つである。
他人に怒られたから反省するのではなく、
自分から本当に申し訳ないと思って、反省するのが、本当の反省。
心もなく、「どうもすみませんでした!」と声を荒げて謝ったって、
誰も気分よく許してはくれない。
間違った事実は、もう取り返しがきかない。
その事実を、どうしていくかが、その人のこれからを変える。
子孫の繁栄を祈り、墓に花をたむける。
埋められた骨に、魂が宿っているわけでもなく、
また、墓に眠るわけでもない。
でも、生きている人が、その儀式をすることで、
悲しみの海から、抜け出せるのであれば、
この儀式は、大切なことなのだろう。
亡くなった人を悲しむ人たちに、お伝えしたい。
肉体は魂と離れたけれど、
魂が傷つき、消えてしまったわけではない。
魂は、永遠に生き続ける。
このことは、自分自身の肉体と魂が離れたとき、
はっきりと分かることだろう。
「いつも側にいるよ」
耳をすませば、優しい故人の声が聞こえてくるかもしれない。
またいつか!と心の中で拝してきたあの日
またこんなに早く、こんな形で、参拝できるとは思ってもいなかった。
ここは九州のへそと言われている、幣立神宮(へいたてじんぐう)である。
およそ8千万年前にできた日本列島は、
大断層が、関東から九州まで縦断していて、
その長さは、およそ千キロにもなり、
中央構造線、別名、日本列島最長の谷とも言われている。
この中央構造線上には、
日本最大の聖地とされる伊勢神宮も、存在し、
また、長野県の分杭峠(ぶんくいとうげ)は、
数年前に「気」の出るパワースポットとしてTVで放送され、
かなり有名になっている。
中央構造線は、聖地だけではない。
ワシタカ科のサシバという渡り鳥がいるが、
越冬をするために南下する際、中央構造線上を南下するらしい。
この中央構造線上には、不思議なパワーがあるといっても過言ではない。
そんな中央構造線上に存在している幣立神宮(へいたてじんぐう)
主祭神は、
神漏岐命(かむろぎのみこと)
神漏美命(かむろみのみこと)
大宇宙大和神(おおとのちおおかみ)
天御中主大神(あまのみなかぬしのおおかみ)
天照大御神(あまのてらすおおみかみ)である。
幣立神宮は通称「高天原・日の宮」と呼ばれていて、
天照大御神が住む宮殿、
天照大御神の子孫である天皇の住む御殿のことを表わしている。
また、隣町の宮崎県高千穂町には、
高天原神話の神話で有名な、
天の岩屋戸(あまのいわやと)の伝承を称える洞窟があり、
位置関係からも、日本の古(いにしえ)を感じることが出来る、興味深い場所である。
しかし、社殿は錚々(そうそう)たる神々を祀っているには、
不釣合いなほど小じんまりとしたものである。
石段を上り、手と口を漱ぎ、参拝をする。
舗装されていない細い山道を下り、
東御手洗(ひがしみたらい)と呼ばれる社の横に岩清水が流れ出る池、水玉の池に向かう。
太古から八大龍王が鎮まる所とされ、
北辰妙見(ほくしんみょうけん)(天御中主大神と同一)の大神が祀られている聖地である。
澄んだ池のほとりに立っていると、どこからともなく、日本酒の香りが。
辺りを見回し、日本酒が撒かれていないことを確認する。
もう一度、目を閉じ、心を静めていると、
やはり、日本酒の香りが漂ってきた。
どのくらい経ったのだろう。
カサっという落ち葉を踏む音で、はっと我に返る。
龍の波動を身体いっぱいに受け、
また新たなる道へと歩き出していこうと思う。
ここで受けたメッセージも、
いつの日か、皆さんまにも、お伝えしたい。
そう思いながら、また細い山道を上がっていった。
神社を守る女人の姿
川沿いを飛びながら、散歩している。
自由になった身体で、川や山の四季を感じ、
高千穂の繁栄を守っている。
太陽の光が差し込み、川の水がキラキラ光っている。
何事もなかったかのように、平和な時間。
月日の経過で、心も癒されていくだろう。
それぞれの役割を持つ神社
最初の願いと現状の行いは、一致しないところもあらざれど、
世の移り変わりに伴い、仕方のないことだと思う。
伝統を守りながら、祀っていく姿
きれいに整備された境内を散策し、
心の中で拝し、また会おうとつぶやいた。
カビが生え始めたみかんを、箱の中にそのまま置いておくと、
どんどん周りのみかんにそのカビが広がる。
早めにそのカビの生えたみかんを取り除くことが、
賢明な処置と言える。
みかんを人に例えてみる。
変な人を自分たちの周りから遠ざけると、
何事もなかったように、日常は過ぎていく。
本当に、そんな処置でいいのだろうか。
変になる人にも、そうなった理由があるだろう。
何かを訴えたくても、どう表現していいか分からず、怒ってしまう人
自分の思うとおりに行かないと、逃げ出してしまう人
自分の利しか考えていない人
言葉の暴力、力の暴力を振るってしまう人…
何を焦って、皆生きているのだろう。
誰もあなたのことを、敵と見なしていないのに。
自分から腐ったみかんのようになって、
箱の中から取り出されないように、もう一度自分を見直そう。
そして、箱の中のみかんが腐らないように、
それぞれが過ごしやすい環境を作っていくことが、今求められている。
自分がやられて嫌だと思うことは、
他人にもやらない方がいい。
子供の頃、教えられたこと。
でもその基準は、自分の中にあり、
他人の基準とは比べると、差があるのは当たり前。
例えば、お酒の好きな人は、どんどんお酒を勧める人が多い。
お酒が弱い人や自分のペースで飲みたい人は、勧められると困惑するが、
お酒が好きな人同士であれば、意気投合して、飲むことが楽しくて仕方がないだろう。
また人を好きになったとき、
自分のことも話したいし、相手のことも聞いてみたい。
なのに、いつも話をするのは私ばかり、何1つしゃべってくれない。
また逆に、私のことを何1つ聞いてくれないなど、
こんなので、やっていけるのかしらと、思い煩ったりしたことは、ないだろうか。
人は自分が主役の人生を歩んでいるから、
その人にとっての基準が常識になる。
感情的にならないで、一歩引いて見てみると、
自分の基準がもっと大きく広がっていくのがわかる。
「こうでなきゃダメ」ではない。
「こうしなければ、ならない」でもない。
常識と非常識
自分の意見に凝り固まらず、
周りの意見にも、耳を傾けてみると、
人とのコミュニケーションも、より良くなっていく。
そしてまた1つ、学びを得た自分と出会うことだろう。
大分県国東(くにさき)半島にある宇佐神宮は、
全国4万社余りの八幡宮の総本宮。
上宮に祀られているのは、
一の御殿…八幡大神
二の御殿…比売(ひめ)大神
三の御殿…神功皇后
八幡さまは応神天皇の御神霊で、
欽明天皇の32年(571)に初めて宇佐の地に御示顕になったといわれている。
応神天皇は大陸の文化と産業を輸入、
新しい国づくりをされた方で、その神徳は強く顕現し、
神亀2年(725)、聖武天皇の勅願により現社地に御殿を造立、八幡神を奉祀された。
これが宇佐神宮の創立である。
この宇佐の地は、畿内や出雲と同様に早くから開けたところで、
神代に比売大神が御許山に天降られたと「日本書紀」に記されている。
宇佐の国造(こくぞう)はこの神を祀り、
八幡神が祀られた6年後に神託により、
二の御殿が奉祀されたそうである。
比売大神は後に、
海北の道中の主として筑前の宗像大社や宮地嶽神社、安芸の厳島神社に祀られ、
福徳愛敬、交通安全等の守護をされ、
神功皇后は母神として神人交歓、安産、教育等、その御威徳が高く顕れている。
三の御殿は神託により、弘仁14年(823)応神天皇の御母「神功皇后」を奉祀されている。
(宇佐神宮ホームページより引用)
境内に足を入れると、思ったより大きく広かった。
きちんと整備され、平日にも係わらず、たくさんの観光客
上宮-若宮-下宮を参拝し、
宇佐神宮でのスピリチュアルメッセージを、皆さまにお伝えしたい。
筋を違えてはいけない。
ここには、光を下ろす順番、参拝する順番など、
さまざまな決まりごとがあり、それにも意味がきちんとある。
水が高い所から低い所へ流れるように、気品高きものは、なおさらである。
世のため、人のためと考えず、
自分のために行動していきなさい。
その行動は、回りまわって、
世のため、人のために、なっていくだろう。
・交わる。が、混ざらない。
・個々を尊重する。
・人の意見を聞く。が、自分の意見も言う。
・皆の中で、誰が偉いとか、上とか、下は、ない。
・同じ心を持つ。が、すべてが同じではない。


