お釈迦様(ゴータマ・シッダルタ)が感じた『悟り』を
お伝えします。
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草原、風が心地良く吹いていて、上を見ると太陽がある。
とても心地良い。
目を下にやると、舗装されていない道があり、
自分はちゃんとした靴を履いていない。
藁のようなもので編んだサンダルのようなものを素足で履いている。
舗装されていない細い道を歩いている。
周りは草原、草はひざ位の高さ。
道の脇に、黄色い可愛い花を見つけて立ち止まった。
その時思ったこと。
こんなにキレイに咲いている花を、他の人は見たことがあるのかな?
皆、足早に歩いているから、分からないかもしれないね。
彼はしゃがみこんで、その花に向かってしゃべっている。
ふと、空を見上げると、鳥が飛んでいるのが見える。
とても自由で、気持ちいいなと感じている。
目の前に起こっているすべてを肌で感じ、
心で感じ、それを喜びとしている。
今、向かっているのは、自分が以前修行をしていた場所。
過去に、修行していたところ。
昔はそういう苦行(辛いことをすること)で、
何か悟りを得ようとしていた。
今は、そうではなく、この瞬間に生きることがすべてだと悟る。
過去を認めることも、また悟りであることを知る。
すべての自分を認めること。
そのために、修行したその場所を見に行こうとしている。
その山の辺りに、歩いていった。
自分が修行したいがために、自然を壊している。
それを見て、彼は嫌な気持ちになっている。
人間のわがままで、他の調和を乱している。
それが、とても彼の胸を痛めている。
修行したい人は、そこでやればいいんだけど、
何か違うんじゃないかという彼の心。
修行の山を降りて、人のいる村の方へと歩いていく。
村の子供たちが、川で遊んだり、お母さんが洗濯をしていたり、人の営みを目にする。
橋の中央あたりで、頬杖をつきながら、その光景を楽しそうに見ている。
先ほどの怒りは全くなく、人として生きることをもう一度認識したよう。
彼が、子供たちに言葉を投げかけている。
「何やっているの?」
子供たちは答える。
「水の中で動いているもの(魚)と遊んでいる。」
彼は、人としての楽しみ方を、今、他の人に聞きながら、体験している最中のよう。
彼の言った一言、一言が、
後々になって広がっていくことを、彼は知らない。
彼の心は、いつも子供のように無邪気で、
それでいて深く、人の心に浸透していく。
彼は今、人として楽しんでいる最中のよう。
・・・
このブッタの心の中を垣間見て感じたことは、
私の心にも穏やかな波が沸き起こり、
心地良い感触がずっと続いていることです。
この会場におられたすべての方が、
この感覚を感じ取られたことでしょう。