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2011年06月 アーカイブ

2011年06月01日

スピリチュアルメッセージ:2011年6月の運勢

6月は、洗心の刻

まだ行ったことのない神社に赴き、
神様に挨拶をしに行こう。

雨にぬれたアジサイの葉っぱが、
風に吹かれ、光っている。

非日常の中のふとした瞬間。
時は止まり、ただ風だけが、頬をなでる。

雨のひとしずくで、心が洗われ、
また明日に向かって、力強い一歩を踏み出せるだろう。

6月の新月は、明日の2日(木)6:03です。

2011年06月03日

1日は24時間じゃない

1つひとつをこなしていく。
もし忘れそうになら、
少しメモをして、書き出しておこう。

今日のこと
明日のこと
明後日のこと

ここ3日ぐらいのことを書きとめて、
同じような事柄を、ひとまとめに。

思いつきで行動するより、
計画を立てて、行動しよう。

時間は、皆に平等にある。
でも、有意義に使うか否かは、その人次第。

実質的な1日は、24時間じゃない。

2011年06月06日

安心できる空間

あなたにとって、安心できる空間って、どんなところ?
現実でも、想像でもいいので、イメージしてみて。

ふわふわした柔らかい感覚?
ワイワイと皆で語り合っている時?
新緑の森?
深~い海の中?
日なたぼっこして、うつらうつらしている時?

人によって、安心できる空間は、違う。

あなたの今の感情によっても、違ってくるだろう。

ホッとできる時間が持てないときは、
そんな空間をイメージしてみて。

瞳を閉じて、少しの間、
その空間に、たゆたってみて。

心が少し落ち着いてくるよ。

2011年06月07日

たくさんの想い

人それぞれの想いは違えども、
幸せになりたい気持ちは、変わらない。

では、幸せって、何を持って幸せなのか。

人それぞれ基準が違う。
自分の思いが、すべての人と共有できるわけではない。

たくさんの想いがある。
すべてにおいて、間違っているわけではない。

自分と感覚が違っても、
それは、見ている角度が違うだけ。

皆、幸せになりたい。
この一瞬一瞬を、満足していたい。

他の人に強制するのではなく、
自分がどうなのか、心の整理をしてみる時間を持とう。

他人と比べることはない。
自分がどうなのか、である。

そして、その先にある未来に向かって、
より良い方法を見つけていこう。

2011年06月08日

人が経験すること

人が経験することって、とても大切。

もちろん、自分が経験しないで、
本やメディアなど他人の経験を通じて、学ぶこともあるし、
友人の話から、ピンと来ることもあるだろう。

その話を、どのような姿勢で聴くかによるだろう。

もちろん、他人の経験なのだから、
他人の経験として聞くのは当たり前なのだが、
自分をその話の中に入れて、
その時、自分だったら、どう対応するだろうと、
いつもイメージしてみること。

自分の位置を、こちら側やあちら側など、
色んな立場に立ってみて、イメージしてみること。

もちろん、自分が経験した過去の出来事もそう。
自分の経験は、自分の立場からしか、見ていない。

その時の相手側の立場をイメージしてみることも大切である。

最初は、感情が入ったりするので、
うまくイメージすることはできないかもしれないが、
時間の経過と共に、客観的に見ることができるだろう。

1日のあなたの生活に接した相手の立場を、
回想してみるだけでも、面白いかもしれない。

その回想をするということは、表面的ないい子になる訓練ではない。

1つの言葉や行動によって、
どんな影響を与え合っているかを感じるだけである。

あとは、自分が感じたことを、
自分の生活に活かしていけるかどうかである。

力まず、楽しみながら、やってみよう。

2011年06月09日

人って単純

人間は、体調が悪くなると、
機嫌も悪くなり、精神的にも落ち込んでしまう生き物。

でも単純なので、
体調が良くなったり、良いことがあったりすると、
すぐに変化する優れもの。

良いことも悪く見えることも、すべて経験。
それを通して、人は成長していく。

経験を通じて、どのぐらい成長できるか否かは、
その人の心構えで変わる。

頭で理解していても、
本当に実践してみないと、何も変わらない。

人って単純。
だからすぐに成長できるのかも。

2011年06月10日

自由人となった佛さま

3月の中旬、
我が家の家から、役割を終えた佛さまが、自由になって旅立って行かれました。
この話を信じる人、信じない人、様々だと思います。
ご本人の判断にお任せいたします。

主人の九州のお寺から、1体、我が家でお祀りしていた仏像。
今から思えば、九州のお寺と我が家を結ぶ深いパイプラインを、
その仏像は繋げてくれていた気がする。

新しく我が家に佛さまがいらっしゃることになったため、
お祀りする佛さまが多くなったこともあり、
安直に、これからいらっしゃる1体の仏像に、
何体かの佛さまにお入りくださいと、主人が言った時のこと。

その佛さまは、「私は役目を終えたのか」と一言。

「終えたわけじゃなく、今の役目はなくなった。
 だから新しく自分で自由に動けるんですよ。
 あなたは、何をしたいですか。」と尋ねた。

「私は、あの寺の土地と、あの寺に住む人たちに合うように、
 あの寺で、仏師の手によって、この世に生み出されたもの。
 役割として与えられたのは、あの寺と、そこに訪ねてくる人たちや、
 そこに住んでいる人たちを御守りすること。
 だから私は、あの寺の分院として、この東京の地で祀られている。
 あなたの言う役目とは、このことまでも無くなったというのか。」

「そうだ、だから私と共に生きられるか。
 それとも、これから来る仏像の中にお入りになられるか。」と主人が尋ねた。

「ならば去る。感情ではない。
 私は役目を終えた。だから去る。
 次に来る仏像には、その役目を与えられた佛さまが入っている。
 あなた方二人の魂が、1つの体に入れないことぐらいわかるだろう。
 あなたの質問は、余りにも愚問。これは感情ではない。
 私は役目を終えたので去る。」

そう言って、スーッと旅立たれた。


白龍のごとく、しなやかで、お線香の煙のように動いていた。

佛さま、神さまって、形がなくなると、龍になるのかな。この時、実感した。

感情はまったくなかったが、少し寂しい気がした。
でも宙に舞うその白い龍は、
とても嬉しそうに、自由になったことを喜んでいるように感じた。

縁が切れたわけではない。肉体がなくなって、自由になった。
だから必要であれば、来てくれる。その安心感も、感じた。

その後、この仏像を作られた仏師をお呼びして話をした。
固執していないかどうか、尋ねたかったのである。

仏師いわく、
「あの寺とあの寺を訪ねてくる人や住んでいる人のために、生み出されたもの。
 私がとやかく言うことはありません。
 魂を入れられたのは、私ではなく、寺のご住職さま。
 私は、その大雑把なところを、形作っただけです。
 あれを見なさい。あんなに嬉しそうに宙を舞っている。
 あれは、まだまだ若い。体力もある。自然界が重宝するだろう。」

と、ほほ笑むと、スーッと光の筋となり、天に消えた。

肉体を持たないものは、まったく感情がない。すべてがとても速い。

肉体を持つ私たちは、感情がある。
だから、喜びもするし、悲しみもする。その経験こそが成長の糧。
だから生きていると実感する。

自分たちの生活を、少しずつシンプルにしていこうとしていた。
少しずつと思ったのに、とても速く動き始めた。

自由になられた仏像の横の、少し小さな佛さまが、
「わしはまだ行かん」
とおっしゃったので、ど真ん中にお祀りすることにした。

「どうぞ、お好きなだけ、ここにご滞在ください。」

不要となったお茶とご飯皿を下げ、また新しい日常が始まった。

2011年06月13日

自由人となった佛さま その2

5月末に、熊野三山と伊勢神宮にお参りした。
その内容については、また次の機会に、ご紹介することにしたい。

私たちは、家を空けるときや、何かイベントがあるときなど、
いつも、我が家にお祀りしている佛さまや導き手に、その旨を報告する。
もちろん、帰ってきたときも、その旨を報告している。

普段、家の人に、
「行ってきます」と「ただいま」を言うと思ってくれれば、いい。

その旅から帰ってきて、無事を報告すると、
「わしはまだ行かん」と言っていた小さな佛さまが、むずむずしている感じがした。

「あれっ」と注意深く見つめていると、

他の佛さまが、
「よくお帰りになった。あなたたちの帰りを待っていた。
 そろそろ旅立たれるようじゃよ。」
と、その状況を伝えてくれた。

慌てて主人にその旨を伝え、お見送りをするお酒などを準備した。
ちょうど、伊勢神宮のおかげ横丁で買ってきた日本酒である。

日本酒を捧げ、お疲れさまでしたと感謝の念を伝えると、
「よく帰ってきてくれた。もう間に合わないかと思いながら、待っていた。」
と言われた。

そして、
「私は、もう行くことにした。私の役目も、終わったようだ。」
という言葉と共に、すーっと白い煙のような痕跡を残して、旅立たれた。

元気に旅立つというより、少し疲れて旅立たれたイメージがした。
気持ちが少しすっきりしない気がしたが、
先日旅立たれた佛さまと同じように、紙に包み、形を浄化するタイミングを待った。

このままの形を残しておくと、
他の佛さまやそれに近い魂が、中に入られることになる。

役目を見つけられて仏像の中に魂が入られると、
また私たちは、その佛さまをお祀りすることになる。

中に入られないように、浄化する必要があると感じていた。


先週、トリニティメソッドを深める会があり、
いつもは、銀座で行なっているのだが、
葉山在住の参加者の方のお心遣いで、葉山のお家で開催させてもらった。

山の中腹にあり、ウッドデッキからは海を一望できるという家。
普通にしていても、うぐいすの「ホーホケキョ」という声が聴こえ、
自然の中にいる自分を感じる。

雨の音さえも、心を静める音楽のようで、耳障りなものは、何もない。

時間がゆったりと流れ、何かを積極的にするというより、
その中での自分の役割を肌で感じて動くという空間である。

そんな場所であったので、今回の佛さまの形を、その場所で浄化させてもらった。

熊野三山と伊勢神宮をお参りした旅も、梅雨と台風2号のために、大雨だったが、
今回の浄化の日も、大雨であった。

私たち2人は、自他共に認める、雨男・雨女。
雨は龍が喜んでいると感じているので、浄化の雨と位置づけている。

最初に旅立たれた大きな佛さまは、未練もなく、自然界に帰り、
自分の役目を見つけられたみたいなので、もぬけの殻であった。

でも小さな佛さまは、
その形には魂が宿っていないけど、何か言いたげな雰囲気があった。
雨の中、浄化の順番を待っている小さな佛さまに、少し意識を合わせた。

「これから、自然界に帰られるのですか。」の問いに

「はい、でも私は自然界での役目を、まだ見つけていません。
 私はたくさんの武士の魂を鎮魂するために、作られたもの。
 これからどうすればいいのか、少し悩んでいます。」

「武士の魂を鎮魂するために、作られた方・・・。
 ならば、あなたを必要とする場所は、1つあるように感じます。
 靖国神社に行かれませんか。」

「・・・」

「形と共に行かれるのではなく、あなたの魂が、靖国神社に行って、
 そこでお祀りされている、たくさんの魂を、導いて欲しいのです。
 あなたには、それができます。」

「そうですか、少し心細いですが・・」

「では、この話を主人にして、あなたを靖国神社に、お連れしましょう。」

小さな佛さまは、その日、形は浄化されたが、
魂として次の役割を待っている。

早く靖国神社をご紹介して、小さな佛さまの喜ぶ顔を見てみたい。

2011年06月15日

クレーマーほど、物事をよく見ている

何かにつけて、文句を言っている人がいる。

その人の矛先が、他に向いているときは、何も感じないが、
こちらに向いたときに、そのエネルギーの凄さに驚く。

その人の言葉から、感情を引いて聞いてみると、
「なるほど~」と関心する目線を持っていることに気付く。

でも「クレーマー」と周りでささやかれているということは、
感情抜きで、物事を表現できないのだろう。

だから、自分の感情によって、怒りや憎さも倍増し、
収まりきらないエネルギーが、他人にぶつけられる。

せっかく素晴らしい目線を持っているのだから、
自分で感情をコントロールして、
相手にわかりやすく伝える訓練をすることが大前提だろう。

人を力や言葉で傷つけたりしても、
そこから何も生まれない。

仕事場や学校、家の中や友人の間で、
何だか少し浮いていると感じているあなた、
感情をコントロールすることをやってみよう。

何も八方美人になる必要はない。

あなたの目線で世の中を見たとき、
それを素直に受け止めてくれるような表現に変えていくだけ。

問題を問題と感じない人や、見ないふりをしている人が多い中、
疑問に感じるあなたの目線と勇気は、素晴らしいものがある。

あとは、表現の仕方のみ。
あなたの周りで、うまく付き合っている人を参考にして、
感情を入れないようにしながら、あなたらしく表現をしていこう。

2011年06月20日

自由人となった佛さま その3

先週末、小さな佛さまのお供をして、
靖国神社にお参りした。
今日は、その時の様子を、ご紹介したいと思う。

・・・

午前中、別件があり、それを済ませ、
飯田橋にある東京大神宮をお参りしてから、靖国神社へ入った。

東京大神宮は、東京の伊勢神宮として親しまれている。
6月30日 夏越の大祓え(なごしのおおはらえ)の準備に、
係りの方々も神さまも、気ぜわしくなさっていた。

大祓とは、
半年間の罪や穢(けがれ)を祓い清めるための行事で、
毎年6月と12月の2回、その月の末日に行なわれている。

6月の大祓は「夏越(なごし)の大祓」ともいい、
この日には茅(ちがや)で作った大きな輪をくぐる「茅の輪くぐり」も行われる。

大祓では「形代(かたしろ)」と呼ばれる紙を、
人の形に切り抜いたものに名前と年齢を書き、
その形代で、自分の身体(左右の手、足、頭、胴の順)を撫で、
次に両手で形代を持ち、息を3度吹きかける。

そうすることにより、自分の罪や穢を移し、
我が身の代わりにして清めてもらうのだそうである。

お正月と変わらない忙しさに、
東京大神宮にお祀りされている神さま方も、何かしらお忙しいご様子。

意識を合わせてみたが、ゆったりとした気持ちではないみたいなので、
少しその場でエネルギーの交換をさせてもらってから、東京大神宮を後にした。

その後、靖国神社へ。

参道は、「靖国フリマ」と書かれた紙が貼ってあり、
フリーマーケットをしていた。

色んな道具や、洋服、小物などが、並んでいる道を、ゆっくり歩きながら、
これからお願いすることに対して、
どのように説明すればいいのかな・・と考えていた。

神殿の前に立ち、二礼二拍手一礼のあと、
トリニティメソッドの光を奉納し、静かにその時を待った。

小さな佛さまの気配を感じる。

意識は、この建物のずっと上にあった。
意識を合わせてから、尋ねた。

「こちらが、靖国神社です。」
違和感を受けながら、答えを待った。

「・・・ここでの役目はないということですね。」

「そうだ。ここは、他の方が、守っておられる。
 私が、ここで随時お手伝いすることは、ないと感じる。
 私は、肉体がなくなり、自由の身となった。
 必要に応じてこちらに来ることもできるが、随時いることはないだろう。」

やはり、前回の佛さまがおっしゃった「1つの肉体に1つの魂」
今回の佛さまのおっしゃった「1つの役割に1つの魂」
この言葉が、頭の中に、響いてきた。

こちらが、考えている以上に、シンプルであった。

小さな佛さまは、自分の役割を、自然界に求め、帰られた。
もちろん、何かあれば、手伝ってくれるという言葉を残して。

気がつけば、6月も下旬になりかけている。
まだ出かけたことのない神社に、お参りにいこうと思った。

2011年06月24日

不協和音から学ぶこと

昨日は、友人のお誕生日であった。

最近は、お互いに忙しいので、
お誕生日であっても、メールのやり取りだけになってしまっている。

おめでとうメールをすると、メールが返ってきた。
ちょうど、私のことをイメージしていたらしい。以心伝心?!

元気だけど、気忙しくって・・と近況をメールした。

そうそう、何かと気忙しく、心星キラリもサボり気味。
ちょっと、ブレイクタイムでも、しようかな。

・・・

波に乗って何かを集中的にやっているときなどは、
周りが見えていなく、自分のやりたいことしか見えていない。

納得しながらやっていても、
周りとの歩調が合わなければ、どこかで不協和音が起こる。

そのとき、誰もが、自分が悪いとは思えない。
歩調が合わない相手を、どうにか変えようとしてしまう。

少し時間が経つと、自分の思い込みもヒートダウンし、
余りにも自己中心的だったことに気付く。

そうして、相手との歩調を、また合わせようとする。
なぜ、そう考えるのか、それが理解できれば、不協和音は起こらない。
頭ごなしに理解しようと努力しても、いずれ形を変えて、不協和音が起こってくる。

人の成長は、無限大である。
人のことを見ながら、要領よく進むのもよし。
頭を打ちながら、進むのもよし。

すべては、自分の学びとして、受け入れていけばいい。

今を精一杯、納得しながら生きる。
不器用であっても、成長はするもんだよ。

2011年06月26日

6月30日に出発する君に贈る

君は、希望に燃えて、
新しい土地へ飛び立とうとしているね。

その青空に、その風に、うまく飛び立てそうか?

やみくもに飛び立つのもいいだろう。
しかし、まずはタイミングを見計らえよ。

追い風は、楽だけど、危険だよ。

向かい風は、時間はかかるけど、
気流に乗ってしまえば、上へ上へと押し上げてくれるのさ。

友よ、君はどちらを選ぶ?

君が好きなように選べばいい。

君の夢が叶うよう、
君の仲間は、皆願っているよ。

自分のことのように、皆願っているのさ。

だから、新しい土地でも、
君の中心に光輝く仲間の顔を忘れるなよ。

うわべだけの手段ではなく、
本物の自分に出会うために、君は今、飛び立つ。

きっと君はこの日を忘れない。
そして、君の仲間たちも、この日を忘れることはないだろう。

僕が誰だかわかるかい。

そうだよ、君の愛したこの地の精霊さ。

友よ、今日はさよならを言わせてもらうよ。

そして新たなる旅立ちを祝おう。

2011年06月27日

退院おめでとう

先日、友人が手術した。
長い間、患っていたものとさよならするために。

先週末、友人たちとお見舞いに行った。
術後の回復が早く、元気そうな笑顔に、安堵する。

そして、月曜日(今日)、退院するかもしれないとの言葉。
思ったより早い退院に、本人も周りも驚きを隠しきれない。

術後の回復が順調なのと、
病院側のベットの空き状態などを考えて、
病院が出した結果であろうと、友人が言った。

何もしなくても、1日を過ごせる病院とは違い、
自宅に帰ると、温度や湿度の設定、日常の生活の細々としたことなど、
すべて自分でやらなければならない。

自由になるけれど、色々と大変になるだろう。

笑うと、開腹した傷が、痛むらしく、
笑いながらも、お腹を押さえている友人の姿が、何とも言えない。

でも、本当に良かった。

彼女から摘出されたものは、
今の身体にとっては、不必要なものになった。

でも、以前の彼女の生活を想うと、
それは、ほんの少し必要だったのかもしれないとも思える。

なぜならそれは、
そのときの生活スタイルを続けることを止めさせようとする彼女の体が作り出したもの。

その時の彼女には、それが出来たことで、
今までの生活を見直すきっかけへと変化したことだろう。

肉体的にも精神的にも、大変な時期、
本人が大変だと自覚するまで、そのものは、成長を続けていく。

「大変な時期を、気付かせてくれて、ありがとう。
 長い間、一緒に過ごしてくれて、ありがとう。
 彼女の身体から切り離されたことで、役目は終わったね。
 本当にお疲れさまでした。」

今度は、彼女自身が、もう一度、
自分の身体と一緒に過ごすことを認識していくだろう。

肉体と精神がバラバラにならないように、いつも心がけていこう。

心が望むことは、もう分っているはず。
無理をしないように、溜め込まないように、過ごしていこう。

たまには、自然の中で、
鳥のさえずりや川のせせらぎに耳を傾け、
自然のゆったりとした時間に、身体を預けてみよう。

あなたは、もう歩き始めている。

素足で大地を踏みしめ、両手を広げて深呼吸。

ほら、光が、差し込んでいるでしょ。

2011年06月29日

夏越の大祓え

先週末、友人のお見舞いに行った帰り、
病院の近くに神田明神があったので、お参りすることにした。

友人たちと3人で、鳥居をくぐると、
夏越の大祓え(なごしのおおはらえ)のため、
茅(ちがや)で作った大きな輪が、正面に置かれていた。

(夏越の大祓えは6月30日だけど、先にやってもいいのかな・・)
などと思いながら、左側から八の字に、「茅の輪くぐり」をやってみた。

そう言えば、一昨年ぐらい前の年末も、
やはりこの神田明神さんで、「茅の輪くぐり」をやったことがある。

夏越の大祓えは、半年間の罪や穢(けがれ)を祓い清めるための行事、
この半年、何があったっけ・・と思いを巡らせながら、ゆっくりと回った。

1月から、トリニティを深める会の第3期生のメソッドが始まり、
葉山の方々との深い交流によって、2月には、葉山でのトリニティメソッド、
3月は、東日本大震災があり、神戸でのトリニティメソッドは延期、
4月は、第2回目の勾玉の会と合同稽古、
5月は、上旬、京都に佛さまをお迎えに行き、下旬は、熊野三山と伊勢神宮を回り、
そして6月、トリニティを深める会の第3期生が無事終了し、
中旬には、青梅の武蔵御嶽神社、そして下旬には、秩父の三峯神社にお参り。

色々な出来事の結果は、良くも悪くも、自分の気持ちの持ちよう。
走馬灯のように、たくさんの出来事が、思い出された。

この半年、一言で表現すれば、激動の半年。
でも、その前の半年も、そのまた前の半年も、激動であった。

すべてのサイクルが早く回ってきている。そんな感じもした。

そんなことを感じながら、神田明神の本殿と摂社をお参りした。
本殿の後ろには、摂社がたくさんあって、少したじろいだ。

二礼二拍手一礼のあと、トリニティメソッドの光を奉納する。

神社さんとのコンタクトは、いつも少しずつ、言葉を掛けてくれる。
すべてを言うことはない。
少しずつ、少しずつヒントがもらえる。

この日、頂いたお言葉を、つなぎ合わせると、こうなる。

(1)滞りをなくす
(2)循環させる
(3)長いスパーンで物事を眺める

これをどう捉えるか、受け取る人によって様々であろう。

自分自身のことに、照らし合わせてみると、
感じたことや頂いたメッセージを自分の中だけで納得するのではなく、
ブログやワークショップなどで、公開していく。

外に表現することで、それを見たり聴いたりした人が、
また新たな発見となり、それを通して深まっていく。

言葉にしても、そう。
呼吸にしても、そう。
病にしても、そう。

自分勝手に納得したり、押し黙ったりすることなく、
すべてを循環させていこう。

何かを願ったり、行動を起こしたりしても、
すぐには、成果が見られなくても、ガッカリしないように。

すべてにおいて、タイミングが必要であり、
「待つ」という行為にも、意味がある。

「今」という瞬間を、大切に生きつつ、
過去・現在・未来へと続く長い道のりを、イメージしてつなげていこう。

「今」やっていることが、明日へとつながる。
「今」できなければ、明日の「今」も、できない。

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