2009年07月04日

~佛教用語:慈愛1(あの暑い1日を忘れない) by koei~

何気ない日常、
いつものように地下鉄に乗り、つり革につかまる。

いつものクセで、
車内の中吊り広告に目をやる。

週刊文春の中吊り広告にふと目が留まる。

何気なく追いかけていくと、
御巣鷹山墜落 坂本九遺族が涙する「24年目のメッセージ」という
タイトルが目に留まった。

あの日は、暑かったなあ、
あの日のむせ返るような暑さがよみがえる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それは、夏の暑い1日だった。
学生の頃、大阪の四天王寺に、
春と秋のお彼岸と、夏のお盆の頃、
学費を稼ぐためにバイトに出かけていた。

私の担当は、四天王寺内にある北鐘堂での回向、
5~6人のお坊さんが、
1日中交代で朝から晩まで、お経を上げ、
薄い杉の板(塔婆)に書かれた戒名の束を、
一心不乱に、読み上げる。

四天王寺は大阪の仏壇と呼ばれるぐらい大きく、
お彼岸、お盆、弘法大師の縁日である毎月21日などは、
どこからか人が湧いてくるのかというぐらい、人々でごった返している。

その人々が、手に経木を持ち、
金堂、亀井堂、北鐘、南鐘、等々の全伽藍で、
回向が一斉に行なわれる。

一週間もぶっ続けでお経を上げ続けると、
さすがにお坊さん方も、声がかれてくる。

信者さんとお寺、お坊さん、
立ち上る線香の煙と、
境内に生えている木という木に、鈴なりになったクマゼミの声、
それらが渾然一体となって、
それはもう賑やかな喧騒に満ち溢れた空間が、そこにはある。

さて、夏の暑い暑い、あの日のことは、
今でも覚えている。

日航ジャンボ機が、行方不明になったというニュースが、
ラジオから流れてきた。

所在は、今もって不明。

皆で無事なら良いのだがと、心配していたところ、
数時間置きに、未だ不明、所在はつかめないまま、
私もお経を上げながら、吹き出る汗とむせ返るような線香のにおいの中で、
無事に見つかることを祈るばかり。

夕方のニュースであろうか。
どうやら、日航機は、墜落した模様、
人命については、未だにつかめず、
しかし、皆が心配している最悪の事態になってしまった。

翌朝のニュースで、
生存者4人が見つかったというのが、
何よりの救いであった。

その事件のことは、
今でも、あの暑さと共に、
今でも鮮明によみがえってくる。
人の命の儚さと、
そこに乗り合わせた人々の、
なぜその機に偶然にも乗ってしまったのだろう
これは運としか言いようのないことなのか。

仏教では、正しく諦めるということも学んでいくが、
若い見習い僧としては、
やはりショックは大きい。

今でこそ、バカの壁の作家:「養老孟司:ようろう たけし」ではないが、
人が生まれれば死ぬのは、必定、
致死率100%との存在として人は生を受ける。

人は年を重ねながら、
色々なことを学び、
死というものに、一歩一歩近づき、
それを受け入れる準備をしていく。

それが、突然520人という方々の命が消えてしまう。

戦争を体験していない現代人として、
その衝撃は計り知れない。

私も少々年を重ねるうちに、
湾岸戦争や阪神大震災、
オウム事件、
日比谷線脱線事故等を、新聞やテレビを通じて目にし、
その後遺族の方の話などが紹介され、
少しずつ人々が、悲しみを背負いながらも立ち上っていく過程を、
見聞きすることによって、受け入れてこれたが、
日航の事故だけは、
若い理想に燃える修行時代ということもあり、
ほろ苦く、心の中に突き刺さったままの1本のトゲのようなものであった。


        ~以下、来週の7月11日(土)へつづく~

2009年06月27日

~佛教用語:阿修羅像(心の映し鏡)~

東京に阿修羅像がやってきたのは、57年ぶりのことである。
3月31日(火)より、6月7日(日)までの61日間に、
延べ人数にして(94万6172人)の方が、上野東京博物館を訪れた。

阿修羅とは、サンスクリット語では、
「a」が不定の接頭語となり、
「sura」が天を表すため、非天と訳され、
帝釈天との戦いを通じて、悪神として扱われるようになったため、
修羅界という人間界より一段低い地位が与えられた。

阿修羅王は、お釈迦さまを守る天龍八部宗の1人に数えられている。

仏教では、たくさんの土着の神々を受け入れ、仏教化していった。
阿修羅王もその1人。

阿修羅王は、帝釈天との戦いに敗れた後、
お釈迦さまの教えを聞き入れ、教化されたため、
今は、釈尊を守る守護神となっている。

天龍八部衆とは、

・天(てん)
  サンスクリット語で「ディーヴァ」と訳し、意味は輝くもの、
  天上界を護るすべての神々を指している。

・龍(りゅう)
  「ナーガ」といい、意味はキングコブラを神格化したもの。
  八大龍王の総称でもある。

・夜叉(やしゃ)
  「ヤクシャ」、「羅刹:ラセツ」とも言う。
  森に住んで、人々に危害を加える鬼神を指す。十二神将などが有名。

・乾闥婆(けんだつば)
  「ガンダルヴァ」といい、帝釈天に歌舞音曲を持って仕える。

・阿修羅(あしゅら)
  「アスラ」といい、天部にあらざる者、非天と訳され、
  度重なる帝釈天との戦いに敗れ、後にお釈迦さまに帰依し、仏法守護神となる。

・迦楼羅(かるら)
  「ガルーダ」といい、悪龍を食べる鳥を神格化したもの。

・緊那羅(きんなら)
  「キンナラ」といい、美しい鳴き声の鳥を神格化したもの。
  歌舞で、毘沙門天に仕える。

・摩睺羅迦(まこらが)
  「マホーラガ」といい、地を這う大蛇を神格化したもの。
  音楽の神とされ、踊る姿や横笛を吹く姿で、現される。

以上、天龍八部衆は、「法華経」の「比喩品:ひゆほん」や「観音経」の中に登場する。
(天台ブックレットNO.53 「ほとけさまのサイン」浦井正明氏 参照)


東京国立博物館(平成館)では、
1日1万人以上の方が、阿修羅像の見学に訪れていた。

来月7月14日(火)~9月27日(日)まで、
福岡県の九州国立博物館にて、阿修羅像展が開催される。

人々を引き付けて止まないその魅力とは、一体どのようなものなのだろう。

普通、仏像というと、仏頂面と呼ばれるように、顔の表情に喜怒哀楽がなく、
あまり良い表現では用いられないが、
感情を抑えて、作られているゆえに、仏さまを拝む人々の心を映す。

ある人にとっては、微笑んでいるようにも、笑っているようにも見えるし、
また、ある人にとっては、恐ろしくもあり、怒っているようにも感じる。

興福寺の阿修羅像は、三面六臂のお姿をされている。

聖武天皇の后、光明皇后(生母:橘三千代(たちばなみちよ)の一周忌の供養のため)によって、
734年に制作された。

麻布を漆で何層にも塗り重ねられた『脱活乾漆造:だっかつかんしつぞう』という技法が
用いられている。

これは、鋳造や木像とは違う古い技法である。

その当時、漆というとても高価なものを用いて作られていたため、普及せず、
その技法は、今伝承されていない。

興福寺も幾度ともなく、戦乱大火に見舞われているが、
この漆塗りの技法のおかげで、153センチながら、15キロと軽く、
持ち出しやすかったため、その大火を何度も逃れおおせた。

さて、この阿修羅像、見れば見るほど、
不思議なお顔をされている。

少年のようにも、少女のようにも見える。
明らかに、大人とは違う、その体系。
幼児期から、青年期にかけてのシャープな体つき。
正面のお顔は、何かを見通すような遠い目をしておられる。

今回の展示では、360度の方角から、
お姿を拝見することができる。

向かって左側のお顔は、唇をかみ締め、少年特有の反抗期のようにも見え、
右側のお顔は、眉間にしわを寄せて、青年期の内なる苦悩を表現しているようにも見える。

魅入る人々の心の中そのものが、
阿修羅像の顔を千変万化させるのであろう。

今から1300年もの昔、
天平の頃、大らかな都の様子が、万葉集にたくさん収められているが、
その反面、世の中は、飢きんや地震という天変地異に見舞われ、
政情も長屋王の変などもあり、戦火の絶えない時代であった。

そんな時代背景とあいまって、
この世のものとは思われぬ美しき阿修羅像は、生み出された。

光明皇后の深き祈りと、
苦悩が、この阿修羅像には、込められているのであろうか。

時を越えて、今の時代、世界大戦というべき戦争は、起こらないかもしれないが、
イラクやアフガニスタンでは、未だに戦いは終わっていない。

ソマリア沖では、時代の遺物と思われていた海賊が、未だに跋扈している。

地球温暖化の現象は、
各地で異常現象を引き起こし、
大洪水や干ばつを、我々人類にもたらし、
世界的には、今、新型インフルエンザという、厄災が、大問題になっている。

日本でも、初めは関西を中心に、
今は、全国で、インフルエンザの災いが、広がりを見せている。

苦悩する阿修羅像が、物語っているのは、
まさに、この世そのもの。

今、阿修羅像が、現代人に熱狂的に受け入れられているのは、
その優美な美しさとあいまって、
何かにすがりつかずにはおられない、私たちの心そのものに、あるのだろう。

阿修羅像の2本の天に突き上げられた腕が、
中段に下がり、正面で合掌となる。

我々の内なる修羅も、
エゴでは、争いはなくならないことを悟ることができたとき、
やがて治まっていくのであろうか。

皆さんには、阿修羅の顔はどのように見えますか。

怒っている?
微笑んでいる?
泣いている?
苦悩している…?

それは、皆さんの心そのものなのです。

光明皇后の平穏への祈りは、
時代を超えて、未だに続いている。

2009年06月25日

7月 東銀座 気功教室 スケジュール表

東銀座 気功教室のスケジュールをお知らせします!

「健康気功エクササイズ」

7月 7日(火) 3階 第三和室    19時-20時半
   14日(火) 3階 第三和室    19時-20時半
   21日(火) 3階 第三和室    19時-20時半
   28日(火) 2階 講習室(月一) 19時-20時半

会場…築地社会教育会館

      中央区築地4-15-1


また、携帯上でも、閲覧できます。
お出かけの際に、お気軽にご覧くださいませ。

http://reimeiken.com/MT/keitai/mt4i.cgi?id=2

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2009年06月24日

7月17日(金)中目黒で、般若心経を読みながら、坐禅を体験してみませんか

「何だか分からないけど、イライラする。」
「もう少し集中力をつけてみたい。」
「会社帰りに、ちょっと心を落ち着けられたら…。」

そんな声を聞き、昨年の8月から
月に1回ぐらいの感覚で、「禅」の体験ができるようにいたしました。

坐禅だけでなく、
「般若心経」を大きな声で読んだり、
坐禅の作法なども、少しずつ習っています。

大きな声で、お経を読むのは、
最初、恥ずかしいかもしれませんが、
お教室の雰囲気に慣れてくると、
徐々に声を出すことができ、
終わった後は、スッキリ!

先生は、天台宗の住職なので、
色んな楽しいお説法を聞くこともできます。

あぐらや正座が苦手な方も、
座布団の敷き方で、楽に座ることができますので、
ご興味がおありの方は、
一度お立ち寄りくださいませ。

○名称
  中目黒(禅)止観クラブ

○日程
  毎月第3金曜日 午後7時~8時半
  7月17日(金)・8月21日(金) を予定

○場所
  東京都目黒区中目黒2-10-13 
  中目黒スクエア内 青少年プラザ 5階(和室)
  電 話 03(5721)8575(場所のお問い合わせのみ)

○服装
  正座やあぐらができる楽な服装
  7階に更衣室あり

○会費
  月1回 2,000円

○アクセス
 電車
   東急東横線/東京メトロ 日比谷線
   「中目黒」駅下車 徒歩10分 (改札1つ)

    改札口を出て、目の前の横断歩道を渡り、
    山手通りを右に進む。
    駒沢通りを越えて200メートルほど進んだ所
    山手通り沿いの左手
    「東京共済病院前」のバス停の少し先

 東急バス
    黒09系統(目黒~野沢龍雲寺)「東京共済病院前」下車 徒歩2分

    渋41系統(渋谷~大井町)「東京共済病院前」下車 徒歩2分

    渋71系統(渋谷~洗足)「正覚寺前」下車 徒歩8分

    恵32系統(恵比寿~用賀)「正覚寺前」下車 徒歩8分

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○講師
  三代公映氏(仙寿院 住職)

○詳しくは、こちらのホームページをご覧くださいませ。
 
   れいめい拳


○活動内容のお問い合わせ等は、こちらまでお願いいたします。

   お問い合わせ

7月 阿佐ヶ谷 気功教室 スケジュール表

阿佐ヶ谷 気功教室のスケジュールをお知らせします!

「阿佐ヶ谷気功クラブ」

7月  6日(月)  阿(2レクリエーション室) 朝10時-11時半

   13日(月)  阿(二和室)      朝10時-11時半

   20日(月)  祭日の為、お休み

   27日(月)  阿(第4集会室)    朝10時-11時半


会場
   阿…阿佐ヶ谷地域区民センター

       杉並区阿佐ヶ谷1-47-17

   産…産業商工会館

       杉並区阿佐谷南3-2-19


また、携帯上でも、閲覧できます。
お出かけの際に、お気軽にご覧くださいませ。

http://reimeiken.com/MT/keitai/mt4i.cgi?id=2

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2009年06月20日

~佛教用語:坐禅のススメ~

5月30日に、東銀座で、坐禅の体験イベントを行ないました。
今回は、そのときの写真と体験記事をご覧頂きたいと思います。

尚、このときの模様は、
6月18日(木)のスポーツ報知に掲載されております。




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今、坐禅が静かなブームを呼んでいる。

ヨガ・気功・太極拳・ピラティス等、
様々な癒しやリラクゼーションといったものが、流行ってきたが、
今、禅が老若男女を問わず、カルチャーの一部として受け入れられている。

アロマテラピーやエステマッサージといったものが、
都会に住む我々に癒しと安らぎを与えてくれるが、
今やその中に忽然と禅の空間が出現している。

間接光に照らし出された薄明かりの中、浮かび上がる畳と障子、
かすかに香る線香の匂い、水の流れる音、
純日本風の庭園にも似た和の佇まいの中で、静かに足を組む人々。

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何と言うことはないビルの一室の中に、
坐禅を求めて、仕事帰りの会社員が、足を運んでいる。
このような光景は、朝出勤前にも見受けることが出来る。

書店に行けば、禅に関するコーナーが設けられているぐらい、
今、禅は静かに人々に受け入れられている。

坐禅と言えば、
都会を少し離れた静かな山の中に佇むお寺の中で、
精神を鍛えることを目的とした人が、真剣に己と向き合う…、
そんな風景が目に浮かぶ。

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しかしながら、一般の方が、足を運ぶには、敷居が高く、
またどこに行けば体験することが出来るのか分からない。

  ・初心者は受け入れてくれるのか。
  ・一体何時間坐らされるのだろう。
  ・少し動くと、お坊さんに木の棒のようなもの(警策:きょうさく・禅杖)で、
   バシっと打ち据えられるし、お坊さんも怖そう。
  ・動いてはいけない。
  ・足がしびれる。
  ・怒られる。
  ・心を鍛えるにはいいのだが、取っ付きにくい。

私たちが、坐禅というと頭に浮かぶイメージではないだろうか。

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禅は、鎌倉時代に、道元禅師や栄西禅師という二大巨頭によって、
武士階級の間に広まっていき、時代もその精神性を受け入れ、今日に至っている。

禅とは、正式には禅定(ぜんじょう)と言い、
サンスクリット語のディヤーナ(禅)の音写と、
その意訳としての(定:心を一点に定めること・静めること)
この2つを組み合わせてできたものが、「禅定」という言葉である。

静かに坐し、心を安定させ、統一された状態へと導いていく。
あわただしく日常を送らなければならない現代人にとって、
時間を確保することは、並大抵のことではない。

そんな忙しい現代人向けに、今回の坐禅体験イベントは、企画された。

深山幽谷の地で、静かに禅を楽しむということはできないが、
いにしえより伝えられた禅の作法に則り、お経を唱え、
数息観(すうそくかん)という伝統的な観法を用い、一心に呼吸を行なう。

数息観…1で吸って、1で吐く。これを1~100まで繰り返す。
      およそ7分50秒~8分、これを3回繰り返す。
      時間が来るごとに、維那(イナ:禅の進行を取り仕切る導師)より音が入れられる。

3回目が終わると、維那が背中を軽くトントンと叩いてくれる。
(今回は、警策を使わずに、手でその代わりとなす)

動いてはいけないというプレッシャーから、やっと開放されホッと一息つく。
その後、全員で般若心経をお唱えし、今回の坐禅体験イベントは終了。

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すっきりと気持ちよく坐禅を組めた方もいらしただろうが、
大半の方は、足のしびれと、動いてはいけないという重圧との戦いの中で、
心を落ち着けることなど出来なかったのではなかろうか。

それでも、今回禅に触れ合った方々には、
自分なりの何かをしっかりと感じ取っていただけたと思う。

お釈迦さまの時代から、今日に至るまで、人の悩みは尽きることはない。
その解決法も、昔と何ら変わることもない。

人は心を落ち着けるために、静かに足を組み、
心の一点に意識を集中し、心を悩ませている原因を探る内観の法を発達させてきた。

その1つの形態が「禅」であるならば、
その中には、昔の賢人の智慧がたくさん詰まっている。

時間は掛かっても、いい。
すぐに解決に至らなくても、良いではないか。

ゆっくり息を吸い、ゆっくり息を吐く。それでいいんだよ。
これが昔の人たちの悩みの解決法。

今日は、「禅」を体験した方の意識の中に、
少しでも「禅っていいもんだなあ」と思ってくれる方がいらしたら、
この体験イベントもお役に立てたのではないかと思います。

ありがとうございました。

   20090620-6.JPG

2009年06月17日

明日のスポーツ報知新聞に記事が出ます!

こんにちは、日響娃です。
いつもご覧いただき、ありがとうございます。

先月30日に、報知新聞後援の坐禅体験イベントを、
開催いたしました。

その体験記事が、明日のスポーツ報知に出ます。
21面の「ナビゲーション」の辺りです。

宜しければ、ご覧くださいませ。


                 日響娃

2009年06月13日

~佛教用語:坐禅4(自己観察のススメ)by koei~

お釈迦さまの時代、カースト制度はもっと厳しく、
その中で、お釈迦さまは、人の絶対的平等を説かれた。

お釈迦さまの教団の中には、身分の低いカーストの方々もおられ、
その高弟の中にも、何人かこのようなカーストの方を登用されている。

私たちが日々の暮らしの中で、迷い・苦しむことといっても、
時代が違うとはいえ、ここまでのことはないが、
お釈迦さまの提唱された仏教が、
このような背景の中から生まれてきたことを知るだけでも、価値のあること。

しかし、いくら教を読み、仏教を修行しても、
心の中に残る虚脱感・虚しさ、そういったものは、未だ解決されてはいない。

おそらく、この後の人々にとっても、
その悩みは同じこと。

人によって、悩みも苦しみも、
その度合いはすべて違う。

その救いもまた然り。

己を救い、その苦しみから解き放つことの出来る存在は、
己でしかない。

仏教を学び、
禅を組んでも、
その中にある本質を見出していくのは、
教えを説く人でも、仏様でもない。

あなた自身なのだ。

静かに、足を組み、
己が呼吸にすべてを託し、
雑念と足のしびれと戦い、
ひと時、自身と向き合ってみる。

世の苦しみ・苛立ち・虚脱感・虚しさ、
このようなひきこもごものことを、
足を組み、瞑想をしても、
何も、誰も、解決してはくれない。

誰もが、何もしてくれないが故に、
叫びとは言わない叫び、嗚咽を正直に表わし、
苦しい・寂しい・悲しい・何をしていいか分からないと、
その姿をさらけ出してみるのも、禅のあり方である。

その在り様に、正しきものはない。

ただ、そのような己の姿に、
禅を通して接してみたとき、
己を正しく見定めて欲しい。

禅は、正しきものにあらず。
己が真実を映すのみ。

禅は、私たちの悩みをすべて解決してくれるわけではありませんが、
深く己を見つめようとする手助けには、なります。

そこに禅の意義と価値があるのです。

その価値に気がついたいにしえの賢人たちが、
長く守り伝え、手を加え、禅は体系化され、
今日のスタイルになったのです。

今や禅は、お寺に行かなくても、
坐禅のサークルやカルチャーセンターなどでも、
手軽に体験できるようになってきました。

一度機会がありましたら、是非ご体験ください。

皆さん、苦しくったって、いいじゃありませんか。

佛は、しっかりと見ていますよ。

そんな素直なあなたが、佛は好きなんです。


5月30日(土)に、報知新聞後援で、
坐禅体験イベントが、東銀座にて、開催され、
盛況のうちに終えることができました。

来週の18日(木)のスポーツ報知に、
記事が掲載されます。

もしご興味がございましたら、
ご覧くださいませ。

来週の20日(土)は、坐禅体験イベントの報告記事等を
お届けしたいと思います。

2009年06月06日

~佛教用語:坐禅3(自己観察のススメ)by koei~

お釈迦さまも、私たち凡人も、苦の原因はまったく同じ。

苦の種類:四苦八苦

四苦  (1)生苦:しょうく…生まれる苦しみ
     (2)老苦:ろうく・・・・老いる苦しみ
     (3)病苦:びょうく…病の苦しみ
     (4)死苦:しく………死の苦しみ

八苦  (5)愛別離苦:あいべつりく…愛するものと別れる苦しみ
     (6)怨憎会苦:おんぞうえく…嫌な人とも会わなければならない苦しみ
     (7)求不得苦:ぐふとっく……求めても得られない苦しみ
     (8)五蘊盛苦:ごうんじょうく…生きていること自体が苦しみ

※注:煩悩に3つ 貪欲(むさぼり)・頬憲(いかり)・愚痴(おろかさ)
    涅槃:ねはん(ニルバーナ)…煩悩の消え去った状態・悟りの境地

お釈迦さまも、苦の原因を探るために、
菩提樹の下で、同じように足を組み、
一生懸命に苦の原因と向き合われ、その解決法を見出された。

その教えが、仏教として、今日に至っているものだ。

さて、お釈迦さまは、何を見出されたのだろう。

それは、四諦八正道という考え方の中に、集約されている。

四諦八正道:したいはっしょうどう

  四諦  ・苦諦:くたい
          人は生まれながらにして、4つの苦、生老病死を背負っている。
          この苦は必然であり、誰も逃れることはできない。

       ・集諦:じったい
          苦には煩悩という原因がある。

       ・滅諦:めったい
          煩悩が滅して、苦のなくなった状態。悟りの境地。

       ・道諦:どうたい
          苦を滅して、悟りの境地に至る道が、八正道である。

  八正道 ・正見:しょうけん…正しい見方

        ・正思:しょうし……正しい思考

        ・正語:しょうご……正しい言葉遣い

        ・正業:しょうごう…正しい行為

        ・正命:しょうみょう…正しい生活

        ・正精進:しょうしょうじん…正しい努力

        ・正念:しょうねん……正しい記憶

        ・正定:しょうじょう…正しい精神統一


お釈迦さまの生きた時代、
もちろん現在のインドもそうだが、
カーストという厳しい身分制度があり、
人の下にも人がおり、それが当然とされた時代であった。

そのカーストは、
現代においても完全になくなったとはいえない。

現在のインドでは、
ヒンドゥー教が、大多数を占めているが、
イスラム教・仏教もその痕跡をとどめている。

今、そのインド仏教が、身分制度撤廃という見地から見直され、
人々の関心を少しずつ広げている。

私の学生時代の先輩も、まさにその渦中にいる。
(インド生まれの方で、中・高・大学を日本で過ごす。)

またの機会に、インドの仏教事情について、
お話をさせていただくとする。

さて、日本仏教会が、
インド仏教会と交流を深めようと、
お坊さん数人を布教目的で、インドに派遣している。

その時のエピソードをご紹介したい。

我々、修行僧は、修行の為に、
仏事以外の作務ということも大事な修行であると捉えているため、
掃除・洗濯・調理など一通りのことは、何でもできるように師より鍛えられている。

しかしながら、インドにおいて、
民衆の前でほうきを持って掃除しているところを、見られると、
お坊さんの説教は、見向きもされなくなる。

ほうきを持って掃除するというカーストがあり、
お坊さんが、掃除をしてしまうと、
そのカーストの人間という風に、見られてしまうため、
掃除をすることなど許されないのだ。

こんな調子だから、
トイレ掃除などしているところを見られようなものなら、
お坊さんは、もう終わりだ。

誰も話を聞いてくれることは、ないだろう。

従って、説教をする以外のことは、何も出来ず、
ただニコニコしているほかないということなのだ。

また、カーストの凄まじさは、
私たちの度肝をぬくことがある。

あるとき、言葉は悪いが、乞食の方の子供たちに、
手のない子や、目の見えない子供たちが、たくさんおり、
不思議に思った僧が、
「これは遺伝的なものがあるのか、
 それとも、病気にかかっても医者にいけない為に、
 身体に損傷をきたしたのか」と、尋ねたところ、

通訳の方が、
「いいえ、あれはわざと親がやっているんですよ」

「何てことだ!警察は何をやっているんだ」と、
憤慨したところ、通訳の方いわく、

「いいえ、違うのです。
 あれは親の深い愛情から、
 手や足を切り取り、目をつぶしているのです。」

「そんな馬鹿な!」

「カースト制度では、乞食の子は大人になっても乞食。
 普通の身体をしていては、人から物を恵んではもらえないのです。
 生きていくために、ああして子供を傷つけているのです。」

あまりの凄まじいその現状に、言葉を失ったと言う。

この話は、昭和も終わりに近づいた頃、
私が修行時代、インド帰りの僧より聞いた話だ。

その僧は、
「カーストの前で、我々僧侶は、あまりに無力。
 絶望的な思いで、逃げるように日本に帰ってきた」とのことだった。

※注 この文章の中で、乞食という言葉を使っています。
    差別的な言葉であることは承知しております。
    カースト制度というものをありのままの姿として伝えるため、
    敢えて使わせていただきました。
    もちろん、そのような方々を見下して使用しているわけではありません。
    そのことをお断りいたしておきます。


        ~以下、来週の13日(土)へつづく~

2009年05月30日

~佛教用語:坐禅2(自己観察のススメ)by koei~

さて、先週、私の属している天台では、
坐禅のことを、止観と呼ぶということを述べた。

そこで少し、この止観のお話をすることにしよう。
(これから先は、
 私のブログ 気功教室『真帆片帆』に載せたものを一部転載いたします。)
 http://www.reimeiken.com/kikou/cat17/

禅の思想の発展は、
達磨禅(禅宗)と天台の止観とが二大潮流であり、
本質は変わらないが、その表現方法には、各々特長がある。

禅宗においては、不立文字、教外別伝を標榜している。
(禅の思想においての理論的な説明は行なわない。)

達磨大師は、六世紀の初頭、
インドから中国に渡り、禅を伝えられた。

天台の始祖天台大師(538~597)は、その後の生まれだが、
達磨禅とは、一線を画くし、摩訶止観十巻を中心とした禅書を著し、
仏教のあらゆる禅行法を座禅の行に統一された。

日本天台は、伝教大師最澄(766~822)によって創始され、
その教学を中国天台より伝承した。

そもそも止観とは、
 止(念を法界につなげること)
 観(念を法界と1つにすること)と定義されている。
少しラフにいうと、「心を留めて真理を観察すること」という意味。

そして、止観の実践として、禅定を組む。

禅定(ぜんじょう)とは、
サンスクリット語のディヤーナの音写(音をそのままの漢字に当てはめる)と
その意訳(意味を解釈し、意味にあった漢字を当てはめる)の定を合成してできた言葉である。

つまり智慧と真理に至るための教義を止観法門といい、
その実践を坐禅という。

止観と坐禅は、表裏一体であり、
優れた止観の実践方法を坐禅と位置づけている。

さて、比叡山を開かれた最澄さんは、
この止観という概念を教義の中心におき、
最初の堂を建てられた折には、
一垂止観院(いちじょうしかんいん)と名付けられた。

そしてまず始めに、その教義を止観業と遮那業の2つに大別し、
止観業:しかんごう(法華経を中心とした学科)、
遮那業:しゃなごう(大日経を中心とした密教学科)とされていた。

密教には、独特の修行法がある。 (ここでは、割愛いたします)

止観業では、
法華経を理解するにせよ、
他の天台教学を学ぶにせよ、
この止観を用いて学ぶべきであると考えられたのだ。

前置きは、随分と長くなったが、
比叡山における修行の中心に、この止観という考え方が重要視されていたのだ。

そこで中目黒において、坐禅の会に、止観クラブと名づけたのである。

少々話は硬くなったが、一般の方には、
「自分の内から沸き起こってくる苦しみや悲しみ、辛さの原因を、
心を静めて、観る。観察することですよ。」と申し上げている。


        ~以下、来週の6月6日(土)へつづく~

2009年05月23日

~佛教用語:坐禅1(自己観察のススメ)by koei~

今、静かに禅のブームが起きている。
禅を組むというと、お寺に赴き、和尚さんの説教を聞きながら、
しばしの間、浮世を忘れ、修行に勤しむ。

そんな風景が、目に浮かぶ。

実際いいなとは思いつつも、
どことなく、敷居が高く、
一般的ではない様に捉えてしまう。

しかし今や禅は、
禅寺の枠を飛び越えて、
カルチャーとして受け入れらようとしている。

ヨーガ・瞑想・気功・太極拳・アロマテラピー、ピラティス、
エステ、マッサージ、癒し、リラクゼーションといったものと、
遜色のないぐらい、私たちの生活の中にとけ込んできている。

かく言う私(koei)も、
月1回、中目黒において、(第三金曜日の夜7時~8時30分)
坐禅の会を催している。

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今月の30日、東銀座の築地社会教育会館にて、
坐禅の体験イベントを行なう。

 ・主催・・・PAC
 ・後援・・・報知新聞(スポーツ報知)
 ・講師・・・三代公映

私の属している宗旨は、天台宗であり、
本山は、比叡山延暦寺、
天台では、禅のことを「止観:しかん」と呼んでいる。

これは、中国天台より、比叡山を開かれた最澄さんが、
入唐の際に、伝えられたものである。

この止観の話は、来週に述べることにする。

私は現在、
気功や、太極拳といったものと、
少々の佛事を、広める仕事に携わっている。

気功の教室にて、
「先生、禅はやったことありますか」という質問を受けた。

「はい、私の宗旨では、
 禅も、密教も、念仏も、法華経も、すべての修行を行ないますので、
 禅も学んでおりますし、修行時代の京都のお寺では、
 日曜日の朝6時に、毎週行なっておりました。」

「そうですか、私も前々から、
 坐禅には、興味があったのですが、
 お寺さんは、ちょっと敷居が高くて、
 どこか学べる所がないかと捜していたのです。」

「ほおー、坐禅ですか。
 禅も、調身、調息、調心。
 気功も、調身、調息、調心を基礎としています。
 では、坐禅の体験会を、1度催してみましょう。」

ということになり、
昨年の8月より、中目黒にて始めてみたところ、好評を得、
『中目黒(禅)止観クラブ』という名称で、今日に至っている。

そこに来ていらっしゃる方の中に、
メディア関係の方がおられ、
今回、スポーツ報知後援、講師が私(koei)ということで、
東銀座での初心者向け坐禅体験イベントを、
させていただくこととなった。

生徒さんの発した「一度坐禅をやってみたい」という言葉が、
またこのような広がりになるとは、想像もつかなかったが、
それだけ、潜在的に坐禅に興味がある人たちがいるのだということにも驚いた。

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さて、坐禅というが、
正式には、禅定:ぜんじょう(ディヤーナ:dhyaana)という。

 「禅」…サンスクリット語のディヤーナの音写(音をそのまま漢字に当てはめること)

 「定」…その意訳(意味を解釈して漢字に当てはめること)
      心を一点に「定めること」、心を「静めること」。
      「定まった状態・静まった状態」という意味。

音写である「禅」と、
意訳である「定」をそれぞれ組み合わせてできたものが、この「禅定」という言葉である。

心を安定統一させ、心静かな内観を、
坐禅によって心身が深く統一された状態を導いていく禅定。

私たちは、さらにこの言葉を略して、禅とのみ呼ぶ。


        ~以下、来週の30日(土)へつづく~

2009年05月21日

合同稽古(指圧教室:実践その5)

6・腕を緩める

   1.患者を仰向けに寝かせ、右腕を手のひら側を上にして横斜め下に伸ばし、
    その下に腕に添わせて座布団を置く。

   2.施術者は、患者の右横・胸の辺りに位置し、
    右腕の付け根辺りを両手の親指同士をくつけて沿え、親指と拇指宮で推す。
    暫時、手首の所まで腕の中心線に添って推して行く。
    くつけて沿え、親指と拇指宮で推す。暫時、手首の所まで腕の中心線に添って推して行く。

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   3.次に、左手を右肩に掌て、右手を右ての肘下に掌て、右手方から左手方に氣を送る。
    (4,5分程度。患者の右肩に暖かさが感じられる。)
    (この際に、三原先生から頂いた真言を唱えると尚効果的。)

   4.次に反対の左腕についても同様に行う。

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7・アキレス腱を伸ばす

   1.患者を仰向けに寝かせ、両足首間を20~30cmほど離して置く。

   2.施術者は、患者の右脇(膝の横辺り)に位置し、
    右脚の下に(膝の下辺り)に右脚膝を置き、右脚を支える。
    左手で患者の膝辺りを押さえ(支え)、次に左手で患者の足の踵を抱え込み、
    腕で(肘の下辺り)指の部分を固定し、ゆっくりと重心を頭の方に移動させる。
    (この動作を3回繰り返す)

   3.次に反対の左脚について同様のことを行う。

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8・腰、下半身のストレッチ

   1.患者を仰向けに寝かせ、両足首をそろえ膝を折り曲げて(90度程度)、立たせる。


   2.施術者は、患者の足下正面に位置し、両膝で患者の足首を固定する。
    両膝上から覆い被さるようにして、両手を骨盤の脇に掌てゆっくりと重心をかける。
    (3回繰り返す)

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   3.膝下に両手を添えて、両足首を付けたままの状態で膝を胸に推していく。(3回)

   4.膝下に両手を添えたまま、両脚を開き、膝を胸に推していく。(3回)

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   5.再び患者の両膝を閉じて、左右の床に両膝を交互に付けるように推す。(3回づつ)

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   6.次に施術者は、患者の右脇(胸の横辺り)に移動して座り、
    右手を肝臓の上(肋骨の下辺り)に掌て、
    右手の手のひらを印堂(眉毛と眉毛の間の中心よりやや上)に掌て、
    右手から左手に氣を送る。(7,8分)

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2009年05月20日

合同稽古(指圧教室:実践その4)

3・下半身のストレッチ

   1.患者をうつ伏せに寝かせる。

   2.施術者は、患者の左脇の膝の横辺りに位置する。
    施術者は、患者の脚の膝裏に手を置き、
    その手を挟み込むようにして、左脚の膝から下を腰の方に推していく。(3回繰り返す)

   3.次に施術者は、患者の右脇の膝の横辺りに移動し、
    患者の脚の膝裏に手を置き、その手を挟み込むようにして、
    右脚の膝から下を腰の方に推していく。(3回繰り返す)

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   4.患者をうつ伏せに寝かせ、
    両脚を開き膝を折り、足首の所で交差させ、左脚の上に右脚を重ねる。

   5.施術者は、患者の足下正面に移動し、
    両脚を開き膝を折り、足首の所で両足を交差させ、右足の上に左足を重ねる。
    (順序的には左右どちらが上でも良い。)

   6.施術者は、患者の両足の甲の付け根辺りに両手を添え、
    ゆっくりと重心を乗せて推していく。(3回繰り返す)

   7.次に左右の脚を入れ替えて、⑥と同様のことを行う。

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4・下半身を緩める1(バイブレーション)

   1.患者をうつ伏せに寝かせ、両足首間を10数cmほど離して、つま先を外側に開いて置く。

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   2.施術者は足下正面に位置し、両手の拇指宮を踵の下辺りに置き、
    他の4本の指を患者の両足首の辺りに添える。
    最初に両手の拇指宮でくるぶしの横辺りを推したら離し、
    次に他の4本の指で、足の甲の付け根辺りを推したら離す。
    (腰の辺りまで振動が伝わるように行う。)

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5・下半身を緩める2

   1.患者をうつ伏せに寝かせ、両足首間を20~30cmほど離して置く。

   2.施術者は、患者の左足首の上に右脚膝を置き、左脚を支える。
    次に右手でこぶしを握り、足の土踏まずの辺りを叩く。

   3.次に反対の右脚について行う。

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・・・・・順を追って、三原昭夫先生の治療を、ご紹介していきたいと思います。・・・・・

2009年05月19日

合同稽古(指圧教室:実践その3)

さて今回のテーマは、「ストレッチで身体の歪みを治しましょう」です。

ここで使用させている写真並びに解説等は、
私と共に、三原先生に氣光指圧を習っている平原さんの制作のものです。

とても分かりやすく解説していただいております。

氏のブログ『氣功・太極拳・和太鼓』にも、詳しく掲載されていますので、
そちらも是非ご覧ください。

  http://blogs.yahoo.co.jp/taikyokuken5274/32318347.html


  http://blogs.yahoo.co.jp/taikyokuken5274/32364526.html


では、簡単にご説明していきます。


1・腰のストレッチ1

  1.患者を横向き(左を下)に寝かせ、両脚を膝から90度程度に折り曲げて重ねる。

  2.施術者は、患者の右横に位置し、右手を患者の腰の下(背骨の右上脇)に掌て、
   拇指宮の部分で真横よりやや下方面に推す。

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  3.左手を患者の右肩の上腕部との付け根から差込み、左手を手前に引き、
   同時に右手は真横よりやや下方面に推す。

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  4.左手はそのまま固定し、暫時右手を上に移動し推していく。
    (4,5回で肩甲骨の付け根まで)

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  5.患者の右脚のみ真っ直ぐに伸ばし、左脚の上に乗せる(組む)。
   左手を患者の右肩の上腕部との付け根から差込み、
   左手を手前に引き、右手は腰に(背骨の右上脇)掌て、真横よりやや下方面に推す。

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  6.左手はそのまま固定し、暫時右手を上に移動し推していく。
    (4,5回で肩甲骨の付け根まで)

  7.反対側も同様に行う。


2・腰のストレッチ2

  1.患者をうつ伏せに寝かせ、
   右脚を左脚の上に交差させ乗せて組み、両足の間に座布団を挟みこむ。

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  2.施術者は患者の左横に位置し、
   右手を患者の右脚膝裏に掌て(自分の方に引くように)、
   左手は腰に拇指宮を背骨の右脇に添えて掌て(推し込むように)、
   右手で右脚を固定し、左手に自分の体重を載せて、床の方向に推し込む。
   (暫時左手を移動し推していく。肩甲骨の付け根まで、4,5回で)

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  3.反対側も同様に行う。

・・・・・順を追って、三原昭夫先生の治療を、ご紹介していきたいと思います。・・・・・

2009年05月18日

合同稽古(指圧教室:実践その2)

<三原昭夫先生の指圧ストレッチ>

今回も多数の方に集まっていただき、
第14回目の気功・指圧の会も、無事終了することができました。

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さて、三原先生の手技をご紹介する前に、
私の気功教室の生徒さんで、
三原先生に気功指圧を受けているご婦人の話を、少しご紹介いたします。

「私は、左足の付け根が痛くて、バスの乗り降りにも苦労するほどなのですが、
先生に診ていただいたところ、「別に筋肉的な異常はありません」と言われます。
そのことよりも、これは、日常生活の延長線上に、よるもののようです。」

「左足を、無意識の間に、いつも踏ん張っているようですね。
 台所などではどうですか?お皿を取ったり、レンジに物を入れて温めるときなど、
 思い出してみてください。」

「はい、そう言えば、台所仕事をするときなど、
 私は背が低いものですから、上のものを取ろうとしたときなど、
 つい左足に体重をかけ、背伸びをして物をとっています。」

「やはりそうでしたか。そのまま気がつかずにいると、
 足の付け根だけではなく、左肩も、おかしくして、しまいますよ。」

「実はもう、左肩も痛いです。どうしたらよろしいのでしょうか。」

「そうですね、物の出し入れをするときなど、
 低くても構いませんから、左足の下に、ちょっとした台など段差のあるものを置いて、
 それを土台にし、右足とのバランスをとられると良いでしょう。」

「まあ、先生。私の家の中まで、お見通しみたい。
 整形外科では、そんな話はしてくれません。
 本当にありがとうございました。」

それから、このご婦人の足の痛みは、徐々に改善されていったそうです。

三原先生のすごい所は、
単に治療をするだけではなく、
的確に日常生活などについても、
サラリとご指導されるところなのでしょう。


・・・・・順を追って、三原昭夫先生の治療を、ご紹介していきたいと思います。・・・・・

2009年05月17日

合同稽古(気功教室:実践その1)

第14回目の三原昭夫先生による指圧の講習会が行なわれました。

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前半は、私(koei)の気功、
後半は、三原先生の指圧ストレッチ

その時の気功、並びに、
三原先生の(ストレッチで身体の歪みを治しましょう)をご紹介したいと思います。

<気功>

  まず始めに、腕振り(スワイショウ)を行い、
  今回はダルマーシュ(ダルマ式呼吸法)を行なった。

  腕振り(スワイショウ)

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  ダルマーシュ呼吸法

  (効用)…胃弱・冷え性・便秘等に効果あり

  (準備)
    (1)座布団を2つ折にして、その上にお尻を乗せ、
       あぐらもしくは半跏趺坐の体勢を取る。

    (2)ヒザの上に手を置き、
       身体を左右・時計回り・半時計回り・前後に揺らす。

    (3)鼻から息を吸い後ろに身体を反らし、
       前に身体を屈しながら口から息を吐く。

    (4)身体をまっすぐにして、腰の安定を図る。

    (5)鼻先に意識を持ち、鼻先に水滴をイメージして、
       その水滴がヘソに向かって落ちる。これを3回繰り返す。
       これによりアゴの位置が決まる。
       いわゆるアゴを引きすぎず、出しすぎずといった状態。

    (6)髪の毛1本で、座ったまま天井からぶら下がっているイメージを持つ。
       これにより背筋が、程よく伸びる。

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  (やり方)
    (1)呼吸法は、9の倍数を用いる。
       9・18・27・36。9回で5分程度。トータルで20分ほど掛かる。

    (2)ヘソの下に陰陽を組み合わせた手を置き、
       お腹を目一杯膨らませながら息を吸い込む。

    (3)もうこれ以上入らない程吸い込んだ後に、
       陰陽を組み合わせた両手を、みぞおちの高さまでスライドさせる。
       このとき、肩は上げない。

    (4)息を吐くときは、口から細く長く、糸のように息を吐き出し、
       両手をヘソの高さまでお腹をこするようにしながら下ろす。

    (5)その後、重心を前に倒しながら、肺に溜まった残余の空気を吐ききる。
       このとき、お腹は引っ込んだ状態となる。

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    これを繰り返すこと、今回は9回。

    このダルマーシュの呼吸法は、立っても、座っても、イスの上でも良い。
    また就寝前に、ふとんの中で、手をスライドさせながら行なってもよい。

    1日36呼吸を目安として行なう。
    最初は無理なく、9回か18回から始めると良いだろう。


・・・・・順を追って、三原昭夫先生の治療を、ご紹介していきたいと思います。・・・・・

2009年05月16日

~佛教用語:佛縁「ある法事の出来事2」~by koei

話を本筋に戻そう。

法事も無事終わり、
故人の海が好きだった話や人となりを偲び、ひと段落したところで、
「このほど名刺を新しくしたので、お渡しします。」ということで、
友人ご夫妻とそのお母上に、名刺を渡し、少し驚かせてやろうという思いもあり、
「表は前のと同じです。是非裏を見てください」と勧めたところ、

裏側を見るなり、友人の奥さまとお母上が、
「崎山、懐かしいわね~。ここの景色はキレイでね。」といきなり話を始める。

「この路線は、行橋から直方に出ているのよ。
この崎山には、お母さんのいとこが嫁いでね。」

何のことかわからず、「あれ、何で知っているの?」と尋ねると、

「だって、今日拝んでいただいた父は、崎山の隣の犀川(さいがわ)の生まれよ。
 私は行橋で生まれて、母もその近くの出身。
 親戚は、今もそこで暮らしているし、知っているってもんじゃないわよ。
 ところで、koeiさんこそ、何でこの駅にわざわざ名前をつけたの?
 行ったこと、あるの?」と奥さま。

「いいえ、まったくありませんし、崎山という駅も先方の方に薦められただけで、
 私たちは、どの駅でも良かったのです。
 (ここで先のネーミングライツのお話をご披露した。)
 ところで、平等寺さんは、お父さんがここの出身って、ご存知でしたか?」

「いいや、僕も始めて知りました。 でもそう言えば、何か言っていたような…」

全員で顔を見合わせて、
「うそ、こんな偶然あるの?狐につままれるとは、このこと。
 本当にお父さんが導いてくれたのかね~」
お母上は、しみじみと言う。

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本当に驚くばかり、
別々であった、法事と駅名という、
絶対に結びつかないように見えたものが、
何かの力に引き寄せられるように、結びついていく。

えにしの不思議さ。
これを不思議と捉えてはいけないのかも、しれない。

佛は私たちに、これでもか、これでもかと、
人の縁の大切さを、身をもってわからせてくれる。

私たちはつい、
生きているということは、
自分自身が頑張っているから、
その努力によって今の仕事につき、
地位を得、社会的な信用を獲得していると思い込んでいる。

そして、それも事実であろう。
しかしながら、見えざる力に導かれ、
人は人を助け、そして助けられている。

そのことを佛さまは、色々な出来事やご縁を通して、
私たちに語りかけてくれている。

「あなたは、1人ではないよ、
いつも佛が見守っているのだからね。」と。

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法事の後、話は私たちの知らない筑豊の町の様子や、
そこに住む人々の暮らしぶり、
気質や風土といったものにまでおよび、
私の知らない駅の周りの様子を、
そこにいるが如く、教えてくれた。

お父上を供養したつもりが、
逆に佛さまの導くえにしの深遠さを気付かされ、
互いが遠く離れているように見えても、
『えにし』という切っても切れないものによって、
人はしっかりとつながっている。

「もうそろそろ気付きなさいよ」と
教えていただいているような気がする。

故人のご家族にとっても、
そして、私たちにとっても、
本当に思い出に残るいい法事が出来た。

見えざる力に合掌し、
佛縁に、ただただ感謝する。

生かし、生かされ、気付かされ、
佛縁の深きに感嘆し、
今日も気付けば手を合わせ、
「南無」と佛の名を唱える。
意味は知らずとも。

※ここで登場していただいた友人と法事に関しては、
 ニュアンスを少し変えて、お話させていただきました。

2009年05月09日

~佛教用語:佛縁「ある法事の出来事1」~by koei

4月18日、よく晴れた清々しい日、
八重桜は今が満開、ソメヨシノとはまた違った艶やかさで、
私たちの目を楽しませてくれている。

今日は泊りがけで、
私の友人の奥さまのお父上の三回忌の法事に、
伊豆高原へと、出掛けている。

私の友人は、平等寺という、少し変わった名字の持ち主である。
実家は代々お寺さんの家系であるそうだ。

彼の父親が、本来お寺を継ぐはずのところ、
次男さんにお寺を譲り、自分は別の仕事に就いたため、
名字は、平等寺という有難いものを持ってはいるが、
まったく佛事には、縁遠く、お経を読むことすらしたことがない。

しかも、今回お弔いをする奥さまのお父上も無宗教、
戒名もつけていないので、普通のお寺さんには相談しにくいという事情もあり、
私に白羽の矢が立ち、一周忌、三回忌と、お弔いを引き受けることになった。

このお亡くなりになったお父上、もとは九州のお生まれで、
山口県の海運関連のお仕事に就かれており、
何よりも海に生き、海を愛した海の男であったそうだ。

そして、ご遺言は、
「私が亡くなった後は、その骨を海にまいてほしい」とのことで、
そのご意志に従い、今でも珍しい海上での散骨が行なわれた。

散骨といっても、海辺で行なうわけにも行かないので、
かなり遠くまで舟を頼み、色々と苦労して行なわれたそうである。

今回は、そこまでのことは出来ないので、
小田原のとある海岸より、海に向けて弔いのお経を上げ、
花をたむけるといった一風変わった法事を執り行った。

よく晴れた海風の、心地よい穏やかな海を眺めながら、
しばし故人の徳を偲び、
その足で、伊豆高原へと向かった。

友人の意向で、そこで1泊し、
宿の部屋にて、友人ご夫妻とそのお母上、私と妻の娃の5人で、
もう一度お経を上げ、無事に三回忌の法要を済ませることができた。

さて、ここから不思議な話が始まることとなる。

その前に、皆さんは、ネーミングライツという言葉を、
耳にしたことがおありだろうか。

例えば、ソフトバンクホークスの本拠地である福岡ドームに、
ヤフーが名前をつけて、今は、「ヤフードーム」と呼ばれている。

このように、企業が名前をつける権利のことを、
ネーミングライツと呼ぶ。

私の妻の娃は、『日響娃:ひびき あい』という名前で、
スピリチュアルメッセージというものに携わっている。

テレビ朝日の番組で、「オーラの泉」というのをやっているが、
三輪明宏さんの相方の江原啓之さんの行なっているようなことだと思っていただければ、
理解しやすいと思う。

妻は、hpも出しており、
そのタイトルを『れいめい拳』という少し変わった名前で、活動を行なっている。
(詳しくは、れいめい拳のhpを参照してください)
   www.reimeiken.com

このほど、九州にある、平成筑豊鉄道という会社が、
この春より社内のシステムを若干変更し、
それに伴って、「行橋:ゆくはし」より「直方:のおがた」に延びている路線の各駅に、
ネーミングライツを募集していることを、報道番組で知り、早速応募してみたところ、
運よく「崎山」という無人駅に名前をつける権利を得ることが出来た。

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本来は、その土地に根ざした企業や商店、学校などが対象となることになっているのだが、
とにかく、一番最初に申し込んだのが、妻であったらしく、
先方も気をよくされ、親切にもこの「崎山」という駅を薦めていただいた。

平成筑豊鉄道も、この不況のご時勢、
少しでも会社が良くなればと、あれやこれやと知恵を絞って、孤軍奮闘している。

そんな報道を見てのことであり、
私たち2人も、何か応援できたらいいねと、申し込んだ次第である。

そのようなわけで、
4月1日付で、この駅の名前には、
『れいめい拳.com崎山』という駅名が誕生した。

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早速、友人らにこのことを話したり、メールをしたところ、
エイプリルフールということもあり、
「またまた~ウソばっかり」という反応が大半であった。

(この話は、4月1日の『心星キラリ』のブログに出ておりますので、
 宜しければ、ご覧ください。 傑作なコメントも入っております。)
   http://www.reimeiken.com/blog/2009/04/com.html


「ま、しょうがないよね」
それに併せて、私の名刺の裏に、
『げんじいの森 ← れいめい拳.com崎山 → 犀川:さいがわ』というのを入れてみた。
ほんの遊び心のつもりである。

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        ~以下、来週の16日(土)へつづく~

2009年05月02日

~佛教用語:般若湯(お酒)と3つの修行~by koei

4月25日朝、ニュースを見ようとテレビをつけると、
SMAPの草薙くんが、謝罪会見を行なっていた。

相変わらず、ほぼ全チャンネル横並び、
私もお酒はたしなむというより、かなり好きな方である。

度が過ぎることも、度々あり、
二日酔いでというよりは、反省という意味合いで、
頭を抱えることの方が多い。

今回の事件、やはり有名人ということもあり、
報道の加熱もすさまじい。

私が酔っ払って大声を上げ、
周り近所の方に、ご迷惑を掛けても、
これほどのことにはならないし、
お巡りさんからも、「さっさと服を着て家に帰りなさい」と、
お叱りを受ける程度。

もしくは、トラ箱(留置場)に一晩留め置かれ、
お小言を頂戴するのが、関の山。

しかし報道によると、草薙くん、
お巡りさんと少々もめ、
ビニールシートでぐるぐる巻きにされ、
御用となったようだ。

社会人としての自覚に欠け、
周り近所の方に、ご迷惑をかけたことについては、
私も少々どうかなと思うこともあるが、
薬物検査を行なわれ、家の家宅捜査まで行なわれるとは、
怖い世の中になったものだと思う。

草薙くんは、今、言葉を1つひとつ選びながら、
ゆっくりとしゃべっている。

これから彼は、社会的な責任を、負っていかねばならない。

いつ復帰できるかどうかは、わからないが、
きっとプレッシャーに打ち勝ち、
もとの自分を取り戻していってくれることだろう。

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さて、佛教用語の隠語の中に、
般若湯というものがある。

いわずも知れた、お酒のことである。

お坊さんは、得度のときに、
戒を授けられ、お酒は禁止されているが、
なぜこうも堂々とたしなまれているのであろうか。

しかも、お坊さんが、お酒をたしなむことなど、
今や公然の秘密などではなく、
誰でもが知っていること。

まあ仕方がないと、半場呆れられているのが現状だ。

佛教用語で、般若といえば、
真実を見抜き、悟りへ導くための知恵という意味である。

今、佛教の流れの中には、2つの潮流がある。

1つは小乗佛教、1つは大乗佛教。

小乗佛教は、南方佛教とも呼ばれ、
タイ・ミャンマー・ラオス等を中心に栄え、
250の戒律を持つ。

大乗佛教は、北方佛教と呼ばれ、
中国・韓国・日本などに今伝わっており、
48の戒律を持っている。

小乗・大乗のお話は、いずれしたいと思いますので、
ここでは、割愛させていただきます。

いずれにしても、250戒、48教戒の立場をとる小乗佛教・大乗佛教といえども、
修行の妨げとなるお酒は、かたく禁じられています。

「不許葷酒山門」

葷酒(くんしゅ)山門(さんもん)に入(い)るを許(ゆる)さず

お酒だけではなく、
臭いが強く、精力がつくもの。

にんにく、ネギ、ニラ等も、禁止されています。

お経を読み、作務を行なえる程度の体力さえあれば、
修行には十分というのがその考え方です。

私の師も、結構お酒は好きな方でした。
よくお酒を飲みながら、私を含めた小僧たちに、

「いいか、修行には、3つの行がある。

 1つは、世の中の人が、修めるのが業である。
 従って、わざ(業)を修めると書いて、修業という。
 我々僧侶が、修めなくてはならないのが、行いであるがゆえに、修行と書く。

 もう1つは、世の中と僧とがよく交わり、
 広く佛の教えを広めるために、酒の行もまた、必要なのじゃ。ハ・ハ・ハ」と笑われる。

結局、仏典・経典・戒・律、どこをどう探しても、
お酒は禁止と書かれてあっても、
飲んでよしとは、書かれていない。

小乗佛教は、絶対に飲んではいけないが、
大乗佛教なら、少々は許される。

そんなわけはないのである。

般若湯の言い訳は、
古来より取り繕われてはいるが、
なかなか佛教界にとっても、悟りと同じように、遠く、
その解を見出すことはできない。

お酒は、ほどほどに。

そして楽しくたしなむ程度が、
今のところ、一番の解決法なのかもしれない。


注(1)般若湯:はんにゃとう
    お酒は快楽を得るために飲むのではなく、薬と捉え、
    智恵の湧き出ずるお湯という解釈に基づき、
    「般若湯」と呼ばれるようになった。

 (2)五戒:ごかい
    佛教徒が守るべき規則

   1.不殺生戒:ふせっしょうかい
      むやみには、殺してはいけない。

   2.不偸盗戒:ふちゅうとうかい
      盗んではいけない。

   3.不邪淫戒:ふじゃいんかい
      姦通を働いてはいけない。

   4.不妄語戒:ふもうごかい
      ウソをついては、いけない。

   5.不飲酒戒:ふいんしゅかい
      お酒を飲んではいけない。

2009年04月25日

~佛教用語:お香の話2~

前回に引き続き、
今回は、お焼香するときの経文についてのお話をいたします。

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焼香偈(ショウコウゲ)

    がんしこうげうん   へんまんじっぽうかい
  1.願此香華雲     遍満十法界

    むへんぶつどちゅう むりょうこうしょうごん
  2.無遍佛土中     無量香荘厳

    ぐそくぼさつどう   じょうじゅにょらいこう
  3.具足菩薩道     成就如来香


これは、お焼香するときに用いる焼香偈(ショウコウゲ)という偈文(ゲモン)です。

お坊さんは、お経を唱える前に、
お香を佛さまにお供えし、その場所を香りで清め、(道場荘厳)
佛さまを供養するための諸々の作法に入ります。

そのときに、この偈文を唱えながら、
お焼香を行ないます。(3回、微音で行なう)

一般的に私たちがこれを知っておいて、役立てる機会があるとすれば、
主に、お葬式や法事などのときでしょう。

また、霊場巡りで訪れたお寺や、
旅の途中で立ち寄った名刹、古刹等の寺、
家の中では、仏壇の中のご先祖さまに、
お灯りや経文、供物をお供えするときなどにも、
お使いいただけると思います。


例1:お寺や霊場巡りで用いる場合


  いっしんちょうらい じっぽうほうかい じょうじゅうさんぼう
  一 心 頂 礼     十 方 法 界    常 住 三 宝     と、3回唱える。


  そのとき、1回目、2回目、3回目と唱えるときに、以下のように念じる。

  1. 一心に佛に深く帰依し、奉る。
  2. 一心に法に深く帰依し、奉る。
  3. 一心に僧に深く帰依し、奉る。


  また、時間のないときは、
  偈文を一度に、微音にて、3回唱え、
  佛・法・僧に深く帰依し、奉ると念じる。


例2:お葬式や法事のときなどに用いる場合


  この頃は、時間の制限もあるため、
  お焼香の時間も短縮され、「1回にしてください」とよく言われます。

  また、お宗旨によっては、
  「1度で充分ですよ」と言われるところもありますので、
  厳密に3回行なわなくても、良いようです。

  まず、焼香台の前に至りましたら、
  合掌し、一礼
  右手でお香を一つまみし、その下に左手を添える。
  そして額の高さにうやうやしく持ち上げた後に、香炉に投ずる。

  1投目
    がんしこうげうん   へんまんじっぽうかい
    願此香華雲     遍満十法界

    お亡くなりになられた故人を慰霊する意味を込めて。

  次いで、2投目

    むへんぶつどちゅう むりょうこうしょうごん
    無遍佛土中     無量香荘厳

    お亡くなりになられた故人のご家族に対して、弔意を表わす。

  3投目

    ぐそくぼさつどう   じょうじゅにょらいこう
    具足菩薩道     成就如来香

    故人がお世話になった方々や地域社会に対してお礼の意味を込めて行なう。


  このお焼香を、1~3投目まで行ないましたら、
  両手を合わせ、合掌し一礼、
  最後に、故人やご家族、ご親戚の方々に一礼して、その場を退きます。


  人の死を悼むこと、
  ましてや、それが身内であり、友人であった場合は、とても辛いことです。

  せめて、私たちができることは、
  お亡くなりになられた方のために、
  安らかにお浄土へ旅立たれることを、心より祈ることぐらいです。

  このように、お焼香は、意味を知って行なえば、
  1投でも良いし、時間が許せば、3投行なっても良いということになります。

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お香には、
その場を荘厳し、身を清めるという意味や、
香りを楽しむという意味、
人の死を悼むという意味まで、
今では広く用いられるようになりました。

人は時々に応じて、
様々な使い分けを行なっています。

どうぞ、皆さまも、お香を焚く折には、
この焼香偈の偈文などを、思い出していただいて、お役立てください。

立ち上る白い煙と、芳香の中に、
今日の1日の幸せを願い、
佛さま、ご先祖さまに、感謝の念を捧げる。

この香に、すべてを託して。

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