今回は、止観クラブの名称とその由来について、述べたいと思います。
日本天台は、伝教大師最澄(766~822)によって創始され、
その教学を中国天台より伝承しました。
そもそも止観とは、
止(念を法界につなげること)
観(念を法界と1つにすること)と定義されています。
少しラフにいうと、「心を留めて真理を観察すること」という意味です。
そして、止観の実践として、禅定を組みます。
禅定とは、
サンスクリット語のディヤーナの音訳(音をそのままの漢字に当てはめる)と
その意訳(意味を解釈して、意味にあった漢字を当てはめる)の定を合成してできた言葉です。
つまり智慧と真理に至るための教義を止観法門といい、
その実践を座禅といいます。
止観と座禅は、表裏一体であり、
優れた止観の実践方法を座禅と位置づけています。
さて、比叡山を開かれた最澄さんは、
この止観という概念を教義の中心におき、
最初の堂を建てられた折には、
一垂止観院(いちじょうしかんいん)と名付けられました。
そしてまず始めに、その教義を止観業と遮那業の2つに大別し、
止観業:しかんごう(法華経を中心とした学科)、
遮那業:しゃなごう(大日経を中心とした密教学科)とされていました。
密教には、独特の修行法があります。 (ここでは、割愛いたします)
止観業では、
法華経を理解するにせよ、
他の天台教学を学ぶにせよ、
この止観を用いて学ぶべきであると考えられたのです。
前置きは、随分と長くなりましたが、
比叡山における修行の中心に、この止観という考え方が
いかに重要視されていたかということを、まずご理解いただき、
私どもが、中目黒において座禅の会に
「止観クラブ」と名付けたのかについて述べさせていただきました。
次回は、止観の作法について、述べさせていただきます。


