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2009年03月 アーカイブ

2009年03月07日

~仏教用語:お数珠と2万2千788の秘密2~

   20090307-1.jpg

数珠には、大玉と小玉によって、
百八の数があります。

その下に、球状のものが10個、
そろばん状のものが20個ほど、ついています。

そして、親玉(数珠の中心)より数えて、
7つ目と21個目のところに
小さな数珠玉(小玉)が配置されています。

真言は、主に7偏、21偏、108偏唱えることになっています。

ちなみに、不動真言(天台よみ)
「ナマ、サマンダ、バサラナン、センダ、マカロシヤナ、ソワタヤ、ウンタラタ、カンマン」など、
108偏唱えようとすると、1時間近くかかります。

   20090307-2.jpg


例えば、観音様の真言「オン アロリキャ ソワカ」を唱えるとします。

そうすると、1つ真言を唱えるたびに、
1つ内側に向かって、数珠を動かします。

7偏目になると、小さな玉の切れ目に差し掛かるので、
真言を唱える僧は、考えなくても、7偏唱えたということがわかり、
真言そのものに集中することができるのです。

「オン アロリキャ ソアカ」
108偏繰り終わると、下の房の丸い玉を1つ上げます。

下の房の丸い玉の1つは、百の単位を表します。
これを全部上げ終わると、1080偏の真言を唱えたことになります。

1080偏の真言を唱え終わると、
そろばん玉状の1つを繰り上げます。

この玉は、20個ついています。

1つひとつが千の単位でありますので、すべての数珠玉を使い切ると、
そろばん状の玉(1080×20=21,600)と
丸い玉(1,080)と数珠本体(108)を足して、22,788
 
2万2千788偏の数を、記録することができるのです。

早い話が、
お数珠とは、数を正確に記録するためのものだったのですね。

その数珠が、いつの間にか、一般の方々に用いられるようになり、
108の半分である54の形になり、
今、皆さんの左手に持たれるようになったのです。

主に、右手は修法の際、忙しく動き回るため、
数珠は左手で持ちます。
(不動真言や諸尊の真言を唱えるときは、両手でも行ないます。)

   20090307-3.jpg

お坊さんというプロが持つ際には、
このような意味で用いますが、
今、数珠といえば、一般的には意味は知らなくとも、
信仰や法事のときにも持つし、
現代人のファッションとしても、
その地位を確立したようです。

意味を知ってしまえば、
有り難くもあり、有り難くもなし。

しかし、いまやお数珠は、
法事やお遍路、七福神参り等の霊場巡りに出かける私たちには、
なくてはならないものの1つになりました。

その他にも、
現代に合った色や形に進化し、
信仰の対象となっていたものが、
ファッション性にも優れたものとして、
また、独特な風水の理論ともあいまって、
運気が上がるアイテムとしても、
受け入れられるようになってきました。

   20090307-4.jpg

お数珠の一つひとつの玉には、
皆さんのお経や真言、願い、
その時折々の思い出が染み渡っています。

お数珠は、佛さまと皆さんをつなぐ、大事な法具の一つでもあります。

大切にお使いになってください。

2009年03月14日

~仏教用語:縁 幸せの方角1~

「ああ!」

テレビを見ながら、大声を張り上げる。

人は、本当に驚いたときには、
声を失うものである。

そこには、盗難にあった佛像が、テレビに映っていた。

健仁寺で盗まれた佛像が見つかり、
犯人が逮捕されたというニュースでの場面である。

そこには私*1が、10代より4年半の時を過ごした、
毘沙門天の像(一木造り、高さ60センチ)が映っていたのだ。

本尊:毘沙門天は、秘佛のため、一般には公開されていない。
ここでいう、像とは、毘沙門天のお前立ちのことである。

*1:私
   koei:日響娃の夫であり、僧籍を持つ。
   日響娃と共に、この仏教用語のコラムを担当している。
   これからも時々出てくるので、お見知りおきください。
   尚、月に一度、第3金曜日、中目黒にて、坐禅の会を催しています。
   詳しくは、このブログ『真帆片帆』をご覧ください。
 
しかも盗難にあったのは、2008年10月のことだという。

他にも、21体という有名無名の佛さま方のお姿。
一体この佛像を盗んだ人は、
どうやってこのように佛像を盗み出すことが出来たのだろう。

新聞報道によると、逮捕されたのは、三重県在住の男性。
盗難にあったのは、佛像は21体、掛け軸3本。

この男性は、防犯カメラにより、
駐車場にあった車のナンバーから、身元が割れ、
運悪く逮捕されてしまったわけであるが、
お寺さんの方としても、
まさかお参りにきた方を、犯罪者と思って接するはずもなく、
そこには、必然的に性善説に基づいた対応がなされていたはず。

結果、そのことが多くの佛像の盗難という、
近年まれに見る事件へと発展してしまった。
誠に残念な事件が起きてしまったものだ。

毘沙門堂*2で過ごした4年半という月日の中、
日々お茶やお佛飯を献じ、
お経や、毘沙門天*3のご真言
「オン ベイ シラマナヤ ソワカ」をあげてお仕えしていた佛さまと、
まさかこのような形で、お目にかかろうとは…。

今年、不思議なことに、『毘沙門堂』という言葉をよく耳にした。

私は、気功教室を都内で開いているのだが、
ここ数年、賀状のやり取りぐらいしかしていなかった、
昔の生徒さんより、連絡があった。

その方を、仮に、『鈴木さん』としておこう。

鈴木さんとお会いして、昔話などをしていた折に、
今は自身の仕事のほかに、
心遍路というNPO法人の仕事にも携わっており、
その中の、『心遍路おとなの学校』に参加されている方に対して、
気功体験教室をやってくれないかという提案を頂き、
私も快諾して、2度ほど中目黒の方で、気功の体験教室を行なうことになった。

そこで、そのNPO法人 心遍路の代表である福本さんを紹介された。
(NPO法人 心遍路に関しては、心遍路のHPを参照してください。)
   http://www.kokorohenro.org/

氏は、このNPO法人を通じて、目や身体の不自由な方と共に、
秩父の霊場巡りをされている。

気功体験教室は、
そこに関係するスタッフの方や、
心遍路の思想に理解を示された旅行会社(トラベルサポーター)の方に対するものだった。

おかげさまで、気功の体験教室も無事終わり、
参加された方には、気功の面白さが少しは伝えられたと思う。


*2:毘沙門堂
   比叡山を開いた伝教大師最澄が、
   比叡山根本中堂のご本尊:薬師瑠璃光如来の残材で、
   2寸2分という小さな毘沙門さまのお姿を刻まれた。

   その毘沙門さまを桓武天皇に献上され、
   帝の冠の中に納めて、肌守りとされたのが、起源とされている。

   たびたびの戦乱を経て、江戸時代、天海大僧正によって、
   現在、山科の地に、復興された。


*3:毘沙門天
   四天王のお1人:多聞天
    ・四天王とは、持国天(じこくてん):東の守護神
    ・増長天(ぞうちょうてん):南の守護神
    ・広目天(こうもくてん):西の守護神
    ・多聞天(たもんてん):北の守護神
   単体で呼ぶ場合には、毘沙門天(びしゃもんてん)、
   鎮将夜叉(ちんじょうやしゃ)とも呼ばれている。)


        ~以下、来週の21日(土)へつづく~

2009年03月21日

~仏教用語:縁 幸せの方角2~

さて、昔から私と付き合いのある鈴木さん、
最近は、中目黒で月1回行なわれている坐禅の会に顔を出される。

「年が明けたら、谷中の七福神巡り(田端を出発して上野の弁天様まで歩く)を
 福本さんが企画しているので、今度ご一緒しませんか。」

坐禅の会の帰り道、お誘いを頂き、
私も谷中方面は初めてだったので、喜んで参加させていただいた。

「福本さんが、懇意にされている方の中に、
 作詞家の石坂まさを先生がいらっしゃり、
 その方の手がけている女の子(歌手:渡部やえさん)が、
 今度『ハイよろこんで七福神』という歌を出すんですよ。
 七福神を巡りながら、三箇所ぐらい歌の奉納をさせていただく予定になっています。」
と、鈴木さん。

「はあそうですか、楽しみですね。」


七福神巡りをしている途中、
歩きながら、福本さんとよもや話をしていると、

「『ハイよろこんで七福神』の歌詞を書いている石坂まさを先生は、
 比叡山の行者、赤山禅院の叡南(えなみ)さんと懇意にしているのですよ。
 一度京都に会いに行ってみないかと、石坂先生に、誘われているんです。」

「叡南さんは、今、
 京都の山科の毘沙門堂の御門主をされている方ですよね。
 実は、私も学生の頃、
 そのお寺で修行させていただいたんですよ、奇遇ですね~。
 今年の正月2日、テレビ東京で、
 仲間由紀恵主演の『寧々~おんな太閤記(ねね おんなたいこうき)』の中で、
 北政所が出家された高台寺の場面、
 あれも毘沙門堂の敷地が使われていましたよ。
 今年は何か毘沙門さんと縁のある年になりそうです。」

などと、話をしていたのが、つい2ヶ月ほど前のこと。

そこで、あの佛像の盗難事件のニュースを目の当たりにし、
驚天動地、晴天のへきれき。

毘沙門さんを介した、人と人との縁、
こういうことを合縁奇縁*4というのかな。
毘沙門さんを介して、何かの力が動いているんだなあ。


ところで、「縁」という言葉をよく耳にする。

「縁起を担ぐ」とか「縁起が悪い」など、
一般的に使われているが、

「縁起」とは、正確には「因縁生起」といい、
あらゆる物事や存在は、互いに影響し合っているという意味である。

「因縁」とは、因(結果を生じさせる「力)と、
縁(それを受けて助ける力)のことを言う。

因縁というと、心因的なものとして使われることが多く、
あまり良い意味で用いられない場合がある。

「因縁をつける」とか、
仏教の根本原理である本来の目的を逸脱した使い方をされる場合も、
多々見受けられる。

あらゆるものは、因縁によって起こり、
そして結末(結果)を迎える。

生があれば、死があるが如し。
その理を素直に受け入れることが、
佛教ではとても大切なこととされている。

その当たり前のことに、あらがうが故、
そこに苦悩が生まれる。

縁なき衆生は、度し難し。
人の忠告に耳を貸さないものは、救いようがない。

因縁をあるがままに受け入れた上で、
分をわきまえ、精進する。

このあるがままに受け入れ、
縁の持つ本来の力に身をゆだねたときに、
縁は思わぬ形で、私たちにそれはこういうことなのだよと、教えてくれる。

病になるには、原因があり、
それは、あなたの日常生活から起きたもの。

そして、病を克服できたのは、
あなたが今までの生活を改めて、その原因を取り除いたため。

心の悩みも、同じこと。

悩んでいる自分を、嘆くより、
その悩む自分も、自分であると認め、
あらがうことをやめれば、
本来の等身大の自分が見えてくる。

悩み苦しむことも、今の自分には、必要だったのだと、
認めることができたときに、
やっと心が軽くなる。


*4:合縁奇縁
   人と人との気心が、合う合わないということは、
   すべてこの世の中に存在する因縁による。


        ~以下、来週の28日(土)へつづく~

2009年03月28日

~仏教用語:縁 幸せの方角3~

振り返ると、毘沙門堂でお仕えした、
私の師匠(比叡山、延暦寺一山長老、前 龍王院住職 生田考憲氏)が、
よく言っておられた。

「幸せは、方角に表わすことができる。
 お前、その方角を知っているか。
 東西南北、この中に、幸せは宿っている。」

ああ!毘沙門さんの縁は、
この師匠の言葉に、見事につながっていく。

『幸せは、西にもあらず、
 東にもあらず、
 北みち捜せ、
 南にぞある。』

「本当の幸せとは、
 未来にあるのではなく、
 歩いてきた歩み、そのものの中。

 つまり、南(身の中)にこそ、
 詰まっているのだよ。

 幸せは、
 他に求めるものではない。

 他と比ぶるものでもない。

 隣の芝生は、青く見え、
 欲を出したら、切がない。

 幸せを感じることができるのは、
 お前自身。

 お前の幸せを羨むものはいても、
 お前の幸せは、お前しか感じることはできない。

 だから、今、
 この瞬間に存在する生き方そのものが、大事なのだ。

 これからの幸せを願い、創造し、
 導いてくれるのは、お前自身であることを忘れてはいけない。」

師の言葉がよみがえる。

幸せの見つけ方とは、
「今まであなたが生きてこれたことに感謝し、
 そして、あなたを見守り、励ましてくれた家族や友人、知人、
 そして佛の不可思の力に感謝する。」

それが、私が師から授かった幸せの見つけ方だ。
このことを今、思い出した。

師匠は、16年前にお亡くなりになられたが、
今こうして毘沙門天さまのご縁を通じて、
この言葉を思い出すことができた。

毘沙門天さまと、私のお師匠さまの縁に、
感謝申し上げます。

そして、このコラムを通じて、
師の言葉が、皆さまの目に触れることができたことを喜びとし、
この縁がどこまでも続いていきますように、心よりご祈念申し上げます。

                          koei

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